
渾身のワーグナー。
ブリュンヒルデを歌わせたら彼女の右に出る者はいない。
これまでに過密なスケジュールというものは何度も経験したが、おそらくニューヨークでの最後の週ほどてんてこ舞いして慌ただしかったことはないだろう。カーネギーホールでブルーノ・ヴァルターが指揮するニューヨーク・フィルハーモニックと3回のコンサートがあり、メトロポリタン歌劇場ではアルチェステを歌った。これらのコンサートは3月20日(木曜日)の夜、翌日の午後、そして3月23日(日曜日)の午後に行われ、私にとってはカーネギーホールでの最後のステージとなった。プログラムのなかには、ヴァグナーの「ヴェーゼンドンク歌曲集」と『神々の黄昏』から自己犠牲の場面があった。
~ルイ・ビアンコリ/田村哲雄訳「キルステン・フラグスタート自伝 ヴァグナーの女王」(新評論)P398
フルトヴェングラーとの有名なEMI録音のちょうど3ヶ月前。
カーネギー・ホールでのブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルとの壮絶なドキュメント。終演後の、聴衆の熱狂的な拍手喝采がまたその日の演奏の凄さを物語る。


3月16日(日曜日)に、コンサートツアーを終えてニューヨークに戻ってきた。月曜と火曜には、長時間に及ぶレコード録音が私を待っていた。月曜にはシューマンの長い歌曲集『女の愛と生涯』とシューベルトの歌曲を6曲録音し、翌日にはアメリカの歌を8曲録音した。そしてさらに、予備としてアメリカの歌をもう2曲とブラームスの歌曲を数曲録音した。水曜日の晩は、『アルチェステ』の3回目の公演に没頭した。もちろん、その合間をぬってニューヨーク・フィルハーモニックとのリハーサルをすることにもなっていた。
~同上書P398-399
当時のフラグスタートの多忙さは並大抵でなかった。
そんな中でのブリュンヒルデの歌唱は言語を絶するものがある。

しかし、その週は恐ろしいくらいに立て込んでいたので、カーネギーホールでのオーケストラのリハーサルを失礼させてもらいたいと日曜日にお願いした。ブルーノ・ヴァルターもニューヨーク・フィルハーモニックの人たちも、それに私も『神々の黄昏』の自己犠牲の場面はよく知っていたので、フィルハーモニックの人たちが「分かりました。あなた抜きでやってみましょう」と言ってくれたので私はほっとした。
~同上書P399
フラグスタートの実に興味深い本音だが、実際のところはそうはいかなかった。それがまた結果的に衝撃的な名演奏を生んだのだから天の采配とはこういうことをいうのだろうと思った。
しかし、火曜日になると(レコーディングの2日目)、同じホテルに滞在していたヴァルターが「あなたの歌い方を把握しておきたいので訪問したい」と言ってきた。ヴェーゼンドンク歌曲集がコンサートのプログラムになっていたので、私たちは彼のピアノでそれをひと通り演奏した。ヴェーゼンドンク歌曲集の最初の音からわれわれの呼吸はピタリと一致し、細部に至るまでその状態が保たれたのでとても気分がよかった。
~同上書P399
これぞブルーノ・ワルターの慈悲深さの賜物だ。
そして、ついに「自己犠牲」の場もやってみた方が良いというワルターのアドバイスに、フラグスタートは異議を唱える勇気がなかった。
「素晴らしい! 木曜日の午前中のリハーサルにぜひとも来ていただけませんか?」
「え? ヴァルターさん、私は行かなくていいと言われているのです。とても過密なスケジュールが続くものですから・・・」
「しかし、お分かりかと思いますがあなたがいるほうがオーケストラの士気が上がるのです・・・」
というわけで、ヴァルターは私を入れたリハーサルが必要と訴え、水曜日の夜にアルチェステを歌った翌日の午前中にリハーサルを行い、その夜はコンサートとなったのである。
~同上書P400
凄まじく強靭な心身こそがブリュンヒルデの名唱を生む原動力だったことがわかる。
もちろんオーケストラの士気は、本番でそのまま聴衆に伝播した。
さらには、フィナーレの管弦楽こそブルーノ・ワルターの真面目。
・ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」から第3幕「ブリュンヒルデの自己犠牲」
キルステン・フラグスタート(ソプラノ)
ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルハーモニック(1952.3.23Live)
フルトヴェングラーのそれをも凌駕する熱気。
デモーニッシュさは明らかにフルトヴェングラーの方が強いものの、音楽の内から湧き上がる生命力はワルターの方が上。
まさに二人の呼吸がピタリと合った一期一会的名演奏に感動だ。