シュヴァルツコップ プリッチャード指揮フィルハーモニア管 モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」K.492第2幕「恋とはどんなものかしら」(1952.7&9録音)ほか

20世紀、「レコード芸術」が人類に多大な恩恵をもたらした。
モーツァルトの復興などはその一例だろうと思った。

モーツァルトはすでに200年も前の音楽家であるのに、現代のクラシックの作曲家の中で最も人気のある存在になっているのは奇妙なことである。19世紀の終わりには、ハンス・リヒターあたりがモーツァルトは将来大いに有望であると予言したと言われているが、総体的には彼の影は薄かった。19世紀の始まる頃、モーツァルトは目先の変わった面白さでもてはやされていたが、時代が下るにつれて博物館の仲間に加えられ、音楽会から追い払われて、もっぱら少女用のソナチネの作曲者として、ピアノのレッスン室に名をとどめるにすぎなくなっていった。
エドワード・J・デント/石井宏・春日秀道訳「モーツァルトのオペラ」(草思社)P7-8

かつてマーラーが放ったといわれる言葉ではないが、「時代が天才に追いつく」のに相応の時間を要するのだろうと思う。

1913年に刊行されたエドワード・ジョセフ・デントの古典的名著「モーツァルトのオペラ」をひもとく。

モーツァルトの主要なオペラは、どれ一つを取ってみても、彼の生前には今日の常識でいうようなヒットにはならなかった。《イドメネオIdomeneo》(1781年)は1786年にウィーンで内輪のリバイバル公演を行っただけである。19世紀に入ってからは1825年までに、数回ドイツ国内で公演された。またそれよりもやや多く演奏会形式で行われている(オペラがもはや劇場に用はないというのを表明する最もまずいやり方が、この演奏会形式である)。1840年代になると《イドメネオ》はリバイバルが進んで、この世紀の終わりまで、ほとんど切れ目なくドイツ国内のどこかの劇場にかかっていた。ドイツ人は明らかにこうしたクラシックに対しての敬虔な務めを果たしたのである。とはいえ《イドメネオ》は《ドン・ジョヴァンニ》のように、劇場の常打ちの演目に加えられたことはない。昔も今も一種の博物館入りの作品であることに変わりはなく、それにしてもみごとな作品だというだけである。
~同上書P9

かの時代において演奏会形式のオペラは邪道だとされていたことに隔世の感がある(今や演奏会形式のオペラは手軽に音楽を愉しめる方法なのだから)。

《後宮よりの逃走Die Entfühlung aus dem Serail》(1782年)は初演時には合計34回公演されたが、そのあとこのオペラの演奏団体だったウィーンの帝室ドイツ・オペラ劇団そのものが解散してしまった。《後宮よりの逃走》は各国でそれぞれの言葉に訳されて公演されたが、ドイツはもちろん、どこの国でもこれといった成功を収めなかった。ロンドンでは1866年になってようやくイタリア語版で初演された。しかしイタリアでは1935年まで陽の目を見ていない。それもフィレンツェでドイツ語版で公演されたのである。
~同上書P9

世界的にいかにモーツァルトの人気がなかったか。あるいは知られてなかったか。

《フィガロの結婚Le Nozze di Figaro》(1786年)は、今ではどこの国でも最も有名なオペラといえようが、これも最初のうちはプラハ以外では当たらなかった。それがドイツ語に翻訳されてから、次第に認められていったが、フランスやイタリアではドイツほどの人気は得られなかった。フランスの観客にとっては水割りではない本物のボーマルシェのほうがいいに決まっていたろうし、イタリア人は確実にロッシーニの《理髪師》のほうが好きだった。そういうわけでプランシェやビショップの頃のロンドンの劇場では、難問を解決する常套手段としての”妥協“によって《フィガロ》と《理髪師》を巧みにつなぎ合わせて一つのオペラにしていた。
~P9-10

モーツァルトの音楽がどれほど前衛的なものだったかがここからも窺える。
あるいは、封建社会への批判を加えた扇動的作品としての先入観も公衆にはあったのかもしれない。

《ドン・ジョヴァンニ》(1787年)は、モーツァルトのオペラの中では最も有名なものと見られてきた。その理由は、これがロマン派にとって飛びつきやすい要素を持っており、彼らが自分蟻に解釈し、自分たちのものにしてしまうことができたからである。
~同上書P10

ロマン派時代にとって心理劇ほどわかりやすいものはなかったのだろう。
「ドン・ジョヴァンニ」はうってつけのオペラだった。

《魔笛Die Zauberflöte》(1791年)はドイツ語による作品だった上に、最初から意識的に大衆を狙ったものであったから、初めはとまどっていた大衆の気持も、繰り返される公演のうちにほぐされてきて、その後は急速にドイツ国内の劇場に広まっていった。ドイツ以外ではやはりイギリスが他国より早くこのオペラに理解を示している。フランスでは、例によって自分流の改造を施すことから始めたし、イタリアでは早い時期に数回公演されただけで、モーツァルトのオペラは、どんなものでもイタリア向きではないという断定を受けてしまった。
~同上書P10

そこにはイタリアのプライドというのもあったのだろうと今となっては想像できるが、この傑作が世界的に一流の仲間入りをするのに相応の時間がかかっていることがまた興味深い。

デントの名著を片手にウォルター・レッグのプロデュースによるシュヴァルツコップのアリアを聴いた。古いながらいずれもが彼女の名唱に裏付けられた歴史的名録音だ。

モーツァルト:
・歌劇「牧人の王」K.208(1775)
第2幕「あの人を僕は愛そう、心変わりはすまい」(アミンタ)
フリッツ・セドラック(ヴァイオリン)
ヨーゼフ・クリップス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1946.11.2録音)
・歌劇「クレタの王イドメネオ」K.366(1780-81)
 第3幕「心地よいやさしいそよ風よ」(イリア)
ジョン・プリッチャード指揮フィルハーモニア管弦楽団(1952.7.1, 2, 4&9.9, 10, 16録音)
・歌劇「後宮からの逃走」K.384(1781-82)
 第2幕「悲しみが私の宿命となった」(コンスタンツェ)
ヨーゼフ・クリップス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1946.10.31録音)
 第2幕「どんな拷問が待っていようと」(コンスタンツェ)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1946.10.23録音)
・歌劇「フィガロの結婚」K.492(1785-86)
 第1幕「自分で自分がわからない」(ケルビーノ)
 第2幕「愛の神よ」(伯爵夫人)
 第2幕「恋とはどんなものかしら」(ケルビーノ)
 第3幕「どこにあるのかしら、あの美しい日々」(伯爵夫人)
 第4幕「恋人よ、早くここへ」(スザンナ)
・歌劇「ドン・ジョヴァンニ」K.527(1787)
 第1幕「ぶって、叩いて、マゼット」(ツェルリーナ)
 第2幕「恋人よ、この薬で」(ツェルリーナ)
ジョン・プリッチャード指揮フィルハーモニア管弦楽団(1952.7.1, 2, 4&9.9, 10, 16録音)
 第2幕「何というひどいことを」(ドンナ・エルヴィーラ)
ヨーゼフ・クリップス指揮フィルハーモニア管弦楽団(1947.9.26録音)
 第2幕「私に言わないでください」(ドンナ・アンナ)
ジョン・プリッチャード指揮フィルハーモニア管弦楽団(1952.7.1, 2, 4&9.9, 10, 16録音)
・歌劇「魔笛」K.620(1791)
 第2幕「ああ、私にはわかる、消え失せてしまったことが」(パミーナ)
ウォーウィック・ブライスウェイト指揮フィルハーモニア管弦楽団(1948.4.12録音)

 
シュヴァルツコップが亡くなって早19年。
個人的に実演に触れる機会がなかったことが残念でならない。

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