バックハウスのハイドン・リサイタル

モーツァルトの優美さともベートーヴェンの雄渾さとも違う、独特の調べ。雅でありながら時に哀しく、時に抑えきれない歓びに溢れる。
決して色気があるとは言えないバックハウスの演奏で聴く、18世紀末から19世紀初めにかけてウィーンで活躍した3人の大作曲家たちのピアノ音楽はそれぞれに個性的だ。これらは間違いなく1本の線でつながる。中でもヨーゼフ・ハイドンのそれは実に魅力的でありながらつい見落としがち。2人の巨人に挟まれて影が霞むとでもいうのか・・・。とはいえ、創作した作品の数は彼らの比ではない。

バックハウスが晩年に収録した1枚のアルバムをじっくり繰り返し聴いてみる。
特に、1780年代後半以降の円熟期に生み出されたピアノ作品に、モーツァルトの晩年のそれにも通じる、そしてベートーヴェンの「傑作の森」期のそれにも通じる「哲学的深さ」を読み取るのはそう難しいことではない(意外に聴き落としがちなのだけれど)。

1794年、2度目のロンドン旅行の際に作曲された第52番ソナタの堂々たる主題を耳にするだけでハイドンの虜だ。アダージョ楽章の足取りの重い静けさも意味深い。この時期、既にモーツァルトはなく、ウィーンでは若きベートーヴェンにわずかながらの教えを授けていた。さすがに62歳の筆には余裕と冒険がある。
そして1789年の春先に生み出された第48番のソナタにおいては、ソナタ楽章を含まない2楽章構成という斬新なアイデアが盛り込まれている。それは、モーツァルトにおける「トルコ行進曲」を含むK.331のソナタやベートーヴェンにおける「月光」ソナタを思い起こさせる。第1楽章の光と翳のゆらゆらと明滅する様が見事。それと第2楽章ロンド・プレストとの対比!!天才は皆誰もが挑戦的だ。

ハイドン:
・ピアノ・ソナタ第52番変ホ長調Hob.XVI-52
・ピアノ・ソナタ第48番ハ長調Hob.XVI-48
・幻想曲ハ長調Hob.XVII-4
・アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニヘ短調Hob.XVII-6
・ピアノ・ソナタ第34番ホ短調Hob.XVI-34
ヴィルヘルム・バックハウス(ピアノ)(1958.5録音)

第48番は、1784年に作曲された3部作(第40番ト長調、第41番変ロ長調&第42番ニ長調)と同傾向を持つ作品で、いずれも2楽章形式、しかもソナタ形式そのものを拒むという構造だが、一般的にはこれは当時常用する鍵盤楽器がチェンバロからピアノフォルテに変化したことの反映だろうといわれる。とはいえ、僕などはもう少し深読みしたくなる。やっぱりフリーメイスン的な「何か」の影がそこから読み取れないかと・・・。
しかしながら、文献によるとハイドンのフリーメイスン入会は1785年2月11日ということなので(しかもその年のうちに脱会しているということに表上はなっている)、この仮説は簡単に翻されてしまう。(いや、待て。先の3部作はフリーメイスン入会前だが、48番については入会後だからあながち間違った推測でもないか)

このあたりはもう少し時間をかけて探索せねばなるまい。
ただし、音楽を聴く限りにおいては、(あくまで直感だけれど)どうにも陰陽二元的なものがテーマで、対立を否定し、調和を重視するように思われ、メイスンかどうかはわからないけれど何か神的なものの絡みがあるのではとついつい考えたくなる。
このアルバムも実に発見の多い傑作。


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