祭典の日

ようやく”Celebration Day”に浸った。
まずはシェパートン・スタジオでのリハーサル風景を収めたDVD。こちらはいわゆるゲネプロ。途中わずかばかりテンション・ダウンかと思われる場面もあったが(さすがに聴衆がいるのといないのとではそもそものエネルギーが違う)、それでも正真正銘のツェッペリンの音であり、その場に居合わせたステージ・スタッフの感動のヴァイブレーションまでが伝わってくる。
先日通して観た本番のBlu-rayとこのDVDから、ロバート・プラントのヴォーカルはやっぱり楽器として機能しているんだと再認識。”Ramble On”など、元々アコースティック色が強い曲はよりヘヴィーに再現されており、特にその感を強める。それと、”In My Time Of Dying”から”For Your Life”という流れはすごいな、と。ボンゾの代役としてジェイソンが相当健闘している(涙)。このあたりは「音」だけで確認してみるとジョンジー&ジェイソンという縁の下の力持ちの音が前面に出るようで意外に面白い(いや、僕の耳が勝手にそう捕えているだけかもしれないけれど・・・笑)。

途中休憩を挟んで、今度はCD2枚を。
しかし、どうにも途中で止めてしまった。

Led Zeppelin:Celebration Day
John Paul Jones, Jimmy Page, Robert Plant and Jason Bonham
Recorded Live December 10th, 2007
O2 Arena, London

ツェッペリンの普遍性は色彩豊かな多様性にある。
ついでに、20年前にジミー・ペイジがリマスターし、編集した4枚組ボックス・セットから2枚目あたりを取り出して聴いてみた。サードから「フィジカル・グラフィティ」あたりの音楽がばらばらに(というかペイジの思う順番に)収録されているが、久しぶりに耳にしてそう思った。アコースティックなツェッペリン、ハードでヘヴィなツェッペリン。そしてフォーク・スタイルのツェッペリン、ブルース・ツェッペリン、さらに第三世界的ツェッペリン、・・・ともかく自在に変化する彼らの(というかジミー・ペイジの)万華鏡の如くの音楽性を確認し、なるほど、確かに”Celebration Day”は感動的な記録であり、それを観る者(聴く者)を感激の坩堝に追いやるが、残念ながら繰り返し何度もという気にあまりならない(ように思う)。その理由がわかった。

彼らがたった1回きりで復活コンサートを終えたことは、自分たちの音楽(の方法)というものをきちんと知っているからなのか。もちろん、ジョン・ボーナムが亡くなって即座に解散をしたこともそのことを正確に物語る。そして、2000万人というファンが殺到しようとも、とにかくあの1度きりのステージ。要請は様々あろうに、その後にツアーを決定・続行しなかったことも実にそのことがわかっていたのでは。
正しく「自己分析」できているバンドの訴求力はすごい。

そういえば、数年前にリリースされたDVDセットを初めて観た時、70年代の彼らのパフォーマンス、中でもアコースティック・セットによるライブが僕にはレッド・ツェッペリンの真骨頂に思われてならなかった。

そして、そうは言ってもやっぱり”Celebration Day”の続きを聴いた。
音楽の1回性を求めて聴いた。余計な思考を抑えて聴いた。
良かった。素晴らしかった。

とはいえ、もし仮に彼らが来日公演をやってくれるなら、間違いなく足を運ぶことを決心した(チケットが取れるかどうかわからないけど・・・笑)。

2 COMMENTS

みどり

お待ちしておりました!

ツェッペリンのライヴの根本をを支えるのはボンゾとジョンジーだと思う
私は、この「祭典の日」におけるJ.P.ジョーンズのミュージシャンとしての
姿勢の崇高さに言葉を失います。
父であるジョンに代わり、ツェッペリンのドラマーとしてこのステージに
上がるジェイソンの心情がどれほどのものかと、やはり言葉がない。
そのジェイソンと2人で(というより、寧ろそのジェイソンごと)、ペイジと
プラントを、「この時」を支え切る覚悟に満ちたジョンジーの佇まい。
感動します。

私がツェッペリンを聴き出した時(76年)、既にプラントはあの声を失って
いて、たとえ祭典であろうとも「移民の歌」がリストに入ったりはしない。
そんなことは十二分に理解しており、幻想も抱いてはいないのですが、
「時」とは決して留まらないものであり、ライヴは生物であるということに
改めて思いを至らしめる作品だと思います。

思うことは様々あっても、3度目はジェイソンと一緒に泣きました!(笑)
何より、彼らが生きていてくれたことに感謝します。
私にはそれで十分です。

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岡本 浩和

>みどり様
こんにちは。
ようやく、です。
まさにおっしゃるとおりだと思います。
しかし、小学生の時からツェッペリンを、しかもオンタイムで(少なくとも「プレゼンス」以降はそうですよね!)聴かれているとは脱帽です。

>「移民の歌」がリストに入ったりはしない。

なるほど、そういうことですね。納得です。

>「時」とは決して留まらないものであり、ライヴは生物であるということに改めて思いを至らしめる作品

同感です。
いろいろと考えさせられ微妙ではありますが、それでも一度はライブを体験したいとやっぱり思います。

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