
ドビュッシーとトスカニーニの感動的な邂逅。
幕間の一つで、アストリュクは、思いがけない訪問者をトスカニーニの楽屋に連れてきた。「扉が開いてドビュッシーを見た時、トスカニーニは立ち上がった」と、アストリュクは回想している。以前に会ったことの無い二人の男は、「お互いにしばらく顔を見合わせ、感動して無言のまま、お互いの腕の中に倒れ込んだ」。アストリュクはトスカニーニを、ドビュッシーなどフランス人作曲家の音楽のための「タイタン(巨神)、勇敢な熱狂者」と形容した。
~ハーヴィー・サックス/神澤俊介訳「トスカニーニ 良心の音楽家(上)」(アルファベータブックス)P320
ドビュッシーはトスカニーニの解釈を絶賛し、トスカニーニはドビュッシーの創造者としての天才を十分評価していた。それぞれのそのときの感動たるやいかばかりだったか。
ドビュッシーにとって、その晩はもう一つ別の意味でも重要だった。「私は、トスカニーニがパリで《アイーダ》の上演を指揮した或る晩に、ヴェルディを『発見した』クロード・ドビュッシーの非常な驚きをまだ覚えている」と、フランス人音楽家兼批評家であるエミール・ヴュイエルモーズは1935年に書いた。「《ペレアス》の作者は、イタリア演劇というテーマに関する現在の偏見を無邪気に共有していた。それをさらに言うと、彼は、我々の劇場で聴けるが、これらの作品を理解するために不可欠な歌手も慣習も持ち合わせない平凡な上演だけに精通していた。ドビュッシーにとって、それはまさに新発見であり、それについて、彼はしばしば好んで語った」。ドビュッシーはまた、《ファルスタッフ》の上演にも出席した。
~同上書P320
トスカニーニの非凡さの証しがここにもある。
直線的で堅牢な様式のドビュッシーなどあまり面白いものではないようにも思えるが、トスカニーニのそれは違った。内側から湧き上がる熱狂とエロスはドビュッシー自身を虜にした。「海」も「牧神」も「イベリア」も「夜想曲」も、いずれもが素晴らしい。
これについてはブルーノ・ワルターの証言もあるのだから間違いなかろう。
1930年の春には、ヨーロッパの諸音楽中心地に輝かしい勝利の遠征を進めていたトスカニーニとニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団を、ライプツィヒに迎えた。トスカニーニの話を聞いておもしろかったのは、彼もまたゲヴァントハウスでの一度の演奏会とそれに続く交歓会から、この建物の《古典的な》雰囲気に感銘を覚えていた点であった。それがこの機関の持つ無類の長所であることは、ますます根ぶかい私の経験によってくりかえし実証されたことだったのである。それはとにかく、私はトスカニーニがニューヨークのオーケストラとともに行なったベルリンでの演奏会も聴いたのだが、とくにドビュッシーの『海』のすばらしい演奏は、いまも耳に残っている。
~内垣啓一・渡辺健訳「主題と変奏―ブルーノ・ワルター回想録」(白水社)P387-388
トスカニーニのドビュッシーの美しさは、それこそドビュッシー自身の言う、音楽の再生の機微を体現している点にあるのだと思う。すなわち、
「音楽は、散り散りにある諸力をあつめた一全体です・・・それでもって思弁的な歌をつくるわけです!」
~平島正郎訳「ドビュッシー音楽論集 反好事家八分音符氏」(岩波文庫)P18
理屈ではなく、自然と一体になって音楽を奏でる精神。
そして、この「思弁的な歌」こそトスカニーニの真骨頂なのである。


