バレンボイムのモーツァルト「変奏曲集」を聴いて思ふ

mozart_variations_barenboim音の流れがまるで人生のようで・・・、悦びあり、哀しみあり・・・。
もともとは与えられた主題を基に、その場で即興で奏された変奏曲。ベートーヴェン然り、ブラームス然り、大作曲家はいずれも「変奏」の天才だ。

例えば、モーツァルトのそれは哀しいときも可憐で美しい。そして、嬉しいときはもちろん弾けるようにきれいだ。

12歳の頃、自作オペラの上演妨害に遭っていてもヴォルフガングは目上の者への「敬い」を忘れない。父レオポルトがどんなに怒りで熱くなったとしても、そんなことは彼にはどうでも良いこと(ウィーンで上演されないことがわかったそのとき相当の落胆はあったらしいが)。ウィーンに移住後、モーツァルトは老大家クリストフ・ヴィリバルト・グルックとの知遇を得た。
時は1783年3月23日、ヴォルフガング27歳、グルックは69歳だった。
その日のコンサートで、会場を訪れていたこの老大家に敬意を表し、その場で即興演奏されたのが「グルックの主題による10の変奏曲」K.455だ。ここにはあらゆる感情や想いが見え隠れする。かの老作曲家も大変な感激を得たことだろう。

モーツァルトの脳みそは森羅万象と一体となり、大宇宙を形成していたのだろうか。
目の前の些細な出来事に振り回されることはなく、子どものように創造性を飛翔させ、出てくる音楽によってすべてを包み込む。

モーツァルト:ピアノのための変奏曲全集より
・グルックの歌劇「メッカの巡礼」の「われらが愚かな民の思うには」による10の変奏曲ト長調K.455
・アレグレットの主題による12の変奏曲変ロ長調K.500
・アレグレットの主題による6つの変奏曲ヘ長調K.54(K.2 Anh. 138a;K.6 K.547b)
・デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲ニ長調K.573
・「女はたいしたものだ」による8つの変奏曲ヘ長調K.613
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)(1991.3.2-5録音)

K.455の第12変奏はアダージョだが、何と澄んだ哀しげな表情を見せることだろう。一音一音を大事に爪弾くように奏するバレンボイムの巧さが際立つ。その後に続く最後の変奏の何と軽やかな歌!!こんなのを聴かせられた老グルックの微笑と、その場にいた聴衆の賞賛と熱狂が手に取るように想像できる。
出色はモーツァルト最後の変奏曲となったK.613。主題はベネディクト・シャックとフランツ・ゲルル作曲による、シカネーダーの道化芝居「愚かな庭師」から採られているらしいが、何とも陳腐な旋律が見事にモーツァルトに色づけされ、天才の音楽に変化する。とはいえ、作曲された1791年3月から4月頃というのはモーツァルトの死の9ヶ月前のことであり、貧困のどん底に喘いでいた時期と重なるゆえ、音楽もどこか深刻だ。
そしてまた、ここでもバレンボイムのピアノは巧い。やっぱりバレンボイムはピアニストとして生涯を全うすべきだったのでは?(笑)

 


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