ベームの「アウリスのイフィゲニア」を聴いて思ふ

gluck_iphigenie_in_aulis_bohm「エレクトラ」のいわば前史。エレクトラには姉イフィゲニアがある。後に母クリテムネストラに殺された父アガメムノンの苦悩と葛藤と。そもそもアガメムノンの家系自体が「呪われたもの」なんだ。

人は愛と義務とのどちらを選択するのか、まさに究極の選択を迫られるミケーネの王アガメムノン。娘イフィゲニアを生贄に捧げなければならぬというその神託に対し決して娘を犠牲にはできぬと信念を貫く。一方、イフィゲニアはたとえ生贄になって死のうとも愛は永遠だと恋人アキレスに誓う。

そう、これは「覚悟」の物語だ。王は自分の命を引き換えに神の意思に背こうとし、娘は愛の前に自身の命を犠牲にすることを厭わない。結果、どうなるのか?そう、女神アルテミスによりイフィゲニアの命は助けられ、アガメムノンとクリテムネストラは神のお慈悲に感謝するのだ。何というハッピーエンド。

僕たちに欠けているものは「覚悟」だ。世界が、宇宙が神により創造され、神の意志で動く以上、人間の「思惑」などまったく通用しない。

グルック:歌劇「アウリスのイフィゲニア」
エリーザベト・シュタイナー(アルテミス、ソプラノ)
ヴァルター・ベリー(アガメムノン、バリトン)
インゲ・ボルク(クリテムネストラ、メゾ・ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(イフィゲニア、メゾ・ソプラノ)
ジェームズ・キング(アキレス、テノール)
オットー・エーデルマン(カルカース、バス)
アロイス・ペルナーストルファー(アルカス、バリトン)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ザルツブルク祝祭室内合唱団
カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1962.8.3Live)

この名序曲については何も語らず。
白眉はやっぱり第3幕か。冒頭のアキレスとイフィゲニアの対話、そしてルートヴィヒの「アキレスへの別れを告げる」アリアの何という切ない響き・・・。
そして、フィナーレの、イフィゲニア、クリテムネストラ、アキレス、アガメムノンによる四重唱と合唱の喜びに満ちた響き・・・。全盛期のカール・ベームの弛緩のない引き締まった音楽作りが見事。

そういえば、少年モーツァルトが作曲した歌劇「ラ・フィンタ・センプリーチェ」K.51にまつわる話を思い出す。ウィーンで上演の妨害に遭ったというのだ。

この頃、作曲家たち、その中心人物はグルックですが、みんなでこのオペラの成功を妨害しようと、万事をくつがえしてしまったのです。歌手たちはそそのかされ、オーケストラもけしかけられ、あらゆる手段を用いて上演中止へと働きかけたのです。
~1768年7月30日付レオポルトからハーゲナウアー宛手紙(「モーツァルトの手紙」P51)

何という醜さ・・・。今も昔も音楽界に在る醜聞を知ると情けない気持ちになる。
それほどモーツァルトの才能は脅威だったということだ。
グルックの天才もそれに比肩しうるもので、何も12歳の子ども相手にむきになる必要もないのに。

 


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