ガーディナーの「オルフェオとエウリディーチェ」(ウィーン版)を聴いて思ふ

gluck_orfeo_gardiner「情が移る」という言葉がある。関係が長ければ長いほどそういうことが起こりやすい。しかし「情」は厳密には「愛」とは異なるものだ。
「愛」や「慈悲」という言葉をそう安易には使うまい。
僕たち人間には厳然とエゴがあり、絶えずそれが邪魔をし、日々内側で葛藤を起こしているから。いや、葛藤があるのならそれはまだ良い方で、大抵の場合そんなことにも気づかず、ぶつかり合うものだ。あるいは、最近は様々な啓発書や精神世界本の流布によりいかにも簡単に体得できるように書いてあるものだから、思考の産物としての「愛なるもの」も横行する。「愛なるもの」とはすなわち「似非の愛」。

ギリシャ神話において人々の愛を試す意味で神は試練をお与えになる。古のオペラはその神話を題材にするものが多い。例えば、「オルフェオ」の物語。

愛の神がオルフェオに与えた試練は3つ(「魔笛」においてタミーノがザラストロより受けた試練も同じ数だったか)。エウリディーチェを救うため冥界に降りるという「勇気」の試練、冥界の入口での復讐の女神たちと死霊たちとの「歌」の試練、そして地上に戻る前に亡き妻エウリディーチェを振り返ってみたり抱きしめたりしてはいけないという、いわば「愛」の試練である。最初の2つは難なくクリアしたものの、オルフェオは最後「情」に負けてしまった。

結果、エウリディーチェは命を落とす。
しかし、ここからがこのオペラの真骨頂。自らの不甲斐なさとエウリディーチェへの永遠の愛を誓うべく命を絶とうとするオルフェオを愛の神は助けるのだ。

愛の神:
お前を幸福にしてあげる!
オルフェオよ、お前は私の栄光のためによく我慢した、お前の愛するひとエウリディーチェをお前に返してあげよう。お前の誠実に対するこれ以上の証を求めない。ほら、ご覧!再びお前と一緒になるためによみがえっている。
(訳:鈴木松子)

グルック:歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」(1762年ウィーン初演版)
シルヴィア・マクネアー(エウリディーチェ、ソプラノ)
デレク・リー・レイギン(オルフェオ、カウンターテナー)
シンディア・シーデン(愛の神、ソプラノ)
モンテヴェルディ合唱団
ジョン・エリオット・ガーディナー指揮イギリス・バロック管弦楽団(1991.5.5-8録音)

グルックの作品中最も有名であり、現代においても舞台にかけられることの多い作品だが、ガーディナーによるこの演奏は特に美しい。何よりレイギンのオルフェオの清らかさ(この声が彼の「誠実さ」に通じるのだ)!!

ガーディナーは「オルフェオ」に関しては絶対にオリジナル稿だと断言する。後年、作曲者によって改作された「オルフェ」(1774年パリ版)は新しき様式的語法で表現された別個の作品だと。この詳細に語られた論が実に興味深い(日本盤ライナーノーツによるが、一にも二にもバランスを欠くことをガーディナーは問題視する)。

愛の神が勝利を得るように!
そして全世界が美の讃歌をたたえるのだ!
(訳:鈴木松子)

最後の合唱が「魔笛」のフィナーレ合唱とオーバーラップする。

 


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