ヴァンスカ指揮ラハティ響のシベリウス交響曲第5番(1915年オリジナル版)を聴いて思ふ

sibelius_5_vanska113私には、判断を下す前に耳を傾け、学ぶという労苦を厭わない聴講者の皆さんに初めて話しかける喜びを隠すことができません。
イーゴリ・ストラヴィンスキー著/笠羽映子訳「音楽の詩学」(未來社)P5

思い込みを捨て、ともかく行動せよという。
ストラヴィンスキーが1939年10月にハーヴァード大学で行った最初の講義からの言葉である。受け身である以上、得たものは単なる「知識」に過ぎない。しかし、能動的に行動するならそこには必ず智慧が生まれる。

ストラヴィンスキーの新しい作品は軽快でリズミカルであり、皮肉で分かりやすいものであった。それらは新しい流行の先端をいく新古典主義の流れであり、ジャズやポピュラー音楽、あるいは過ぎ去った昔のスタイルを好んで援用した。1920年代の早い時期に、シェーンベルクは彼の調性破壊音楽を合理化するドデカフォニー、すなわち十二音技法を編み出した。
マッティ・フットゥネン著/舘野泉日本語版監修/菅野浩和訳「シベリウス・写真でたどる生涯」(音楽之友社)P68

同時代にあってジャン・シベリウスは世間の趨勢に飲まれることなく孤高を追究した。1915年に書かれた交響曲第5番は、翌年の改訂、そして1919年の再改訂を経て、現在一般に聴かれるものになった。おそらく彼の交響曲の中でも随一を誇る内容を持つ傑作であるが、当初の形は4楽章制で、良くも悪くも荒削りの斬新さに溢れた音楽だった。2つの版を比較して聴いてみると面白い。音楽の生成と熟成の過程がはっきりとわかり、現行版が極めて完成度の高いものでものであることが理解できる一方で、原典版の直感に満ちた旋律と音調の宝庫に感動する。

終楽章の「白鳥の讃歌」を軸にした(現行版とは異なる)コーダの神々の宿る安寧に感謝。特に、現行版にはない弦楽器のトレモロに木管とホルンが重なりゆっくりとクレッシェンドで上りつめてゆくシーンに思わず震えが止まらない。そして、終結はトランペットとトロンボーンによる4つの和音とそして休止を置いてのトゥッティ。素晴らしい!!

シベリウス:
・交響曲第5番変ホ長調作品82(1915年オリジナル版)(1995.5.11-12録音)
・交響曲第5番変ホ長調作品82(1919年現行版)(1997.6.2-4録音)
オスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ交響楽団

おそらく作曲者自身はもはや表には出したくなかったであろう「原典版」をあえて世に問うオスモ・ヴァンスカは挑戦者だ。そのことは、彼の音楽の造形を見てもわかる。音の一つ一つをくっきり鮮明に出しながら、全体像を明確に描き出す。その上で、当時のシベリウスの心情を代弁するのである。現行版は隅から隅まで確信に満ち、オリジナル版は幾分かの不安定さを残しながら、荒々しい。

湖面に反射する光と翳。
太陽が山裾に隠れた瞬間の神々しさに圧倒された。冬の富士の何という静謐さ、そして壮大さ。
生まれてちょうど100年の、原初の姿のシベリウスの第5交響曲が脳内で鳴り響いた。

 

ブログ・ランキングに参加しています。下のバナーを1クリック応援よろしくお願いいたします。


日記・雑談(50歳代) ブログランキングへ


4 COMMENTS

河野眞一

今、原点版を聴き終わり心が震えています。

ヤルヴィとオーマンディの5番を愛聴していますが~~  
ヴァンスカの演奏、本当に素晴らしくて嬉しくなりました‼

返信する
岡本 浩和

>河野眞一様

コメントをありがとうございます。
オーマンディ盤は未聴ですが、ヤルヴィの5番は素晴らしいですよね。

しかしながら一度この原典版に触れてみるとシベリウスの生々しいというか赤裸々な原初の魂の声までが聞こえてくるようで、堪りませんよね。
シベリウス・ファン必聴の名演奏だと思います。

返信する
河野眞一

今日は、ヴァンスカのシベリウス5番「原点版」を聴くことができて本当によかったです。
そして、購入したまま聴かずにいたことをヴァンスカにお詫びし、素晴らしい演奏に感謝の気持ちでいっぱいです

岡本様の「音楽日記」に時々訪問させていただきますので、宜しくお願いします。

返信する

岡本 浩和 へ返信するコメントをキャンセル

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む