ケルテス指揮ウィーン・フィル ブラームス 交響曲第3番ヘ長調作品90(1973.2録音)ほか

ブラームスの交響曲第3番ヘ長調作品90は、ハンス・リヒターをしてブラームスの「英雄」といわしめた傑作だが(第1楽章アレグロ・コン・ブリオ冒頭からしてのけ反ってしまうほどの強靭な音の塊よ)、その言葉の影響を受けてしまうのか、どの指揮者のどんな解釈も、基本的に男性的で雄渾なものが多いように思う。

ケルテスの最後の録音の一つとなった交響曲第3番は、興味深いことにいかにも大人しく(つまり余計な力の入らない、中庸なということ)、かつ交響曲第2番ニ長調作品73で見せる女性的な優美さを前面に押し出した名演奏として知られている。

しかし、よく聴くと、音楽の進行とともに徐々に熱が入り、第1楽章の再現部あたりになるとすでに強烈な個性を持って音楽をドライヴする指揮者の思念が隅々まで跋扈する情念が顔を出すのだから、ケルテスはやはり只者ではなかった。

ケルテスは、イスラエルはテルアヴィヴの海で遊泳中波に飲まれて急逝した。享年43。
そのときの様子を一緒にいた声楽家の岡村喬生が詳細に報告しているが、それがまた実に興味深い内容で、運命、あるいは寿命というものの儚さ、しかもそれが突然、予期せぬ形で舞い込んで来ることを示唆しており、自然に対して人間というもののあまりの小ささに言葉を失うほどだ。

長いが、当該箇所を引用したい。「紺碧の海、ケルテスをのむ」と題するエッセー。

私は一人、ダンホテルの理髪店で散髪をしてプールサイドに戻って来た。ケルテスが待ちかねたように言った。
「さあ、海に泳ぎに行こう」
ダンホテルは、ヘルツリアという海岸の崖の上に建っていた。プールサイドから崖を降りる短い階段をたどれば、もう海岸である。ポップもグラマッキイも、もう下に行く用意をしている。私は3人のあとをついて階段を降りて行った。あとで知ったのだが、その階段の上には、ヘブライ語と英語で「海岸に於ける責任にはホテル側は一切関知しない」ということが書かれてあった。しかし急な階段だったから、皆足元に気をとられ、その注意書きに気付いた者はいなかった。階段の下の扉には番人がいたが、ヘブライ語しか解しないその老人は、我々のしゃべるドイツ語、英語、イタリア語に対し、ただ、イエス、イエス、と答えるだけで、すぐに扉を開けてくれた。我々は、海岸で泳いでも良いか、ということを聞いたのであったが・・・。
天気は良かったが、地中海は波が高かった。長い海岸には、一般道路から入って来て、甲羅干しをしている人が、ほんのポツリ、ポツリと点在するだけ。泳いでいる人は一人もいなかったが、遊泳禁止のしるしである旗は、どこにも立っていなかった。
泳ぎの好きなケルテスは、海岸に着くと、一目散に波打際に走っていった。金髪をセットしたばかりで、波にぬれることを嫌った二人の女性は海岸で見ているという。私は泳ぎが下手くそである。波も高いし、泳ぐことに何となく嫌な予感がしたのでためらっていた。
「臆病!」
ケルテスは笑いながら私に手を振って、一緒に来いという合図をすると、波に向っていった。散髪したばかりの頭は、どうせプールで泳ぐと思ってシャンプーをしてなかった。えいままよ。私は女性たちに時計とサンダルをあずけ、歩いて海に入っていった。ケルテスは、その時にはもう、波の間に頭が見えるだけであった。ところが、ヘルツリアの波は、ただ高いだけでなく、下の方で猛烈に引っ張っていた。ゆっくり歩いて入ったのに、引き波にさらわれて、私は一気に数メートルも物凄い力で引っ張られた。とっさに私は危険を察知した。
「危ない。帰れ!!」
私はケルテスに向って怒鳴った。しかしその声は波の音に打ち消された。遥か沖の方にケルテスの頭は見えかくれしている。しかし私の力ではとてもとても、そこまで行って帰って来ることは出来ない。早く浜辺に戻って危険を告げるべきだ。私はそう判断した。そして浜辺の方に向きをかえ、一番得意な平泳ぎで波をかきわけながら、必死に二人の女性に大声で危険を告げた。
「ヒルフェ(助けて)、ヒルフェ!!」
しかし二人は全く気づかずに砂浜に腰を下し、のんびりとおしゃべりをしている。そのうちに波をかぶって水を飲む。もう声を出すどころではない。私は海と格闘し続けた。何分経ったか知らないが、必死に体を動かしているうちに、まず手が動かなくなって来た。仕方がない。私は体力の消耗を避けるため、水面に浮かんで背泳にきりかえた。しかし高波がザーッと顔面にかぶさって来る。寄せ並みに乗って岸に近寄ったかと思うと、またたく間に引き波に沖に連れ戻される。
それでも私は必死に、まだ動く足をバタバタさせた。果して岸に向ってまっすぐ泳いでいるのか? 平行に泳いでいるのではないことは、波頭を見れば解るが、少しでも斜めに向っていたら、まず絶対に体力は続かない。しかし頭をあげてそれを確かめる余裕などは、心理的にも生理的にも全くない。力の続く限り足を動かし続け、もうこれでギリギリおしまい、という時に、足を下につけてみよう。それで届かなければ一巻の終りだ。ケッパレ!
不思議なものである。オヤジが子供の頃よく私にかけていた掛け声が胸をついて出た。それは、がんばれ、の強意語として、オヤジの学んだ開成中学で常用されていた言葉らしい。負けるな。ケッパレ!
私は最後の最後まで波との闘いを続けた。そしてとうとう足の力もなくなった時、これで最後と、足を下におろした。つま先がかろうじて砂をとらえた。引き波が去って行った時だった。私は最後の力を振り絞って引き波の余波の中を、岸に向って足を運んだ。
よろよろと近づく私を見て二人の女性は言った。
「日本の神様みたい」
連中には神も仏も一緒である。髪を振りみだし、眼鏡もかけずに放心した私の姿を見て、仏像を想像したのであろう。私は波打際まで来て倒れた。そして口から泡を出して水を吐いた。初めて二人は異常を悟った。私は必死に伝えた。
「ケルテスが危い!」
私の尋常ならざる様子を見て二人はうろたえた。こんな時の西洋の女はだらしがない。映画などに貴婦人が気絶する場面がよくあるが、あれはうそではない。二人の美女はセットしたばかりの金髪をふり乱し「ヒルフェ、ヒルフェ」を絶叫した。しかし人影まばらな海岸で、言葉も通じない相手には全く効果がない。
「どうしよう!」
二人は私にすがりついて来た。
「快速艇。ヘリコプター。救急車。ライフガードに!」
やっとの思いで私は指図した。二人は上のダンホテルのプールにいるライフガードに向って走っていった。
倒れたまま、私は両足を懸命に動かした。また波にさらわれそうな恐怖感がある。片足をやっと安全な砂地に運んだ頃、数人のヤジ馬が集まって来た。甲羅干しをしていた連中である。
「誰か・・・おぼれてるの?」
間の抜けた英語で一人が尋ねて来た。世界中どこでも、ヤジ馬は無責任で役に立たない。
「足を動かしてくれ!」
口から泡を出しながら、私はいらだった。
やっと一人が私のもう一本の足を水際から離してくれた。
「誰ですか、おぼれているのは」
しつこく好奇心を満足させようとする。
「ケルテス!」
「指揮者の! オー」
ペチャクチャとその男は廻りにヘブライ語で説明すると、また私に聞こうとする。こっちは力つきて倒れているのだ。せめて日陰にでもかついで行ってくれたって良いではないか。私は顔をそむけて口をつぐんだ。連中は私の廻りで何かしゃべり合っている。
その時、人をかきわけるようにして、一人のイスラエル兵士が近づいて来た。救急車の看護兵であるその男は、私を肩にかつぎあげると、はるかに流暢な英語で、私を彼方に到着している救急車にのせることを告げた。車は砂浜には入れないのである。
「いや、ケルテスを待ちます!」
私はこばんだ。
「あなたがここにいても、何の役にもたちません。救急車はもう一台来ます。気持は解るが、さあ、行きましょう」
彼は強制的に私を救急車の寝台に寝かせて発車させた。海岸には人影がふえて救助活動が行われている。
「ケルテスは?」
私の問いに、彼は無線で連絡をとったが首を振った。
「まだ見つかりません」

岡村喬生「ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ」(新潮社)P188-192

このあとも、ケルテスのあっという間の死までの様子が克明に語られる。
九死に一生を得た岡村の後悔の念も詳細に紡がれ、その壮絶さが手に取るようにはっきりと見えるのである。

運命の分岐は確かにある。そしてまた、命がそれぞれ別々であることもその通りだ。
(運命を形作る因果律はどうしても避けることはできない)

ブラームス:
・交響曲第3番ヘ長調作品90(1973.2録音)
・ハイドンの主題による変奏曲作品56a(1973.3&5.14録音)
イシュトヴァン・ケルテス指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ケルテスが最後に取り組みながら、結局その終曲だけを未収録のまま逝ってしまったブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」。終曲はウィーン・フィルによって指揮者なしで録音されたようだが、まるでケルテスの本性(命)が乗り移ったかのような感動的な演奏であり、彼がどれほどオーケストラ団員から慕われる存在だったかもあわせて理解できる名演となっている。

1973年4月16日、イシュトヴァン・ケルテス没。
早半世紀以上が経過する。

ガブリー ケルテス指揮バンベルク響 マーラー 交響曲第4番ト長調(1971.1Live)ほか

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