
気のせいなのか、NHKホールの音響効果が以前より良くなったように感じた。
それともオーケストラの機能が格段に上がったのか、はたまた僕の器がまた一層大きくなったのか。
ファビオ・ルイージの、ブルックナーによる神への捧げものはとても素晴らしかった。
輪郭が明瞭で、造形も楷書、作品の重み、作曲者の真意、物理的にも、また精神的にも実に「わかりやすい」演奏だった。金管群の天国的咆哮が、木管群の自然の祈りが、そして弦楽器群の地を這ううねりが、円やかに融け合い、僕たちの心を癒してくれた。
あの巨大なホールを揺るがすような大音響と、小さ過ぎないピアニッシモが、それでいて最大限のダイナミクスを持った文字通り神業だった。
なるほどブルックナーの内に存在した「六道」が、まさに最後の交響曲に至って組み込まれているのが見えた。そういう意味では、前3つの楽章の解決たる終楽章が完成しえなかったのは、「理」に至るためのいわば3種の神器が発行されない時代にあったからだ。
第3楽章アダージョで、ブルックナーは天国的音響を体現できたのだと思う。
それは、今回のルイージの演奏を聴いて見えたことだ。
神秘的な第1楽章は、冒頭の原始霧のトレモロからその緊張感は並大抵でなかった。
いよいよ祈りが始まるという、聖なる儀式への糸口は、徐々に高揚し、最初のクライマックスを迎えたとき、すでに僕の心は感動で打ち震えていた。
この感覚は、ギュンター・ヴァントが北ドイツ放送響を伴って最後の来日をしたときに聴いたあの(オペラシティ・コンサートホールでの)コンサートのときと同じものだ。もはやそこにはブルックナーの音楽しかなかった。押しては引き、寄せては返す音の波の神々しさ。怒涛のコーダが現出まで僕は言葉が出なかった。
続く第2楽章スケルツォも実にはっきりした演奏。反復される主部と、これまた反復されるトリオの対比が実に明確で、生命力に富み、何と素敵な音楽なのだろうと思った。
そして、終楽章を完成し得なかったブルックナーの老境の極みたる第3楽章アダージョも絶品。ブルックナー休止の見事な作用が音楽に緊張と弛緩を与え、実に見事だった。これほど人間の呼吸に一致した音楽が他にあるのか? これぞ天からの賜わりものだと想像した。
ギュンター・ヴァントの”Live in Japan 2000″を観て思ふ ブルックナーの最後の交響曲の実演を聴いたのは、たぶん朝比奈隆がNHK交響楽団と演奏したそのとき以来だろう(朝比奈亡き後、しばらくブルックナーの生音を僕は封印していた)。あのときは1階席で聴いたが、あの日の演奏を上回るものではないのかとさえ思ったほど。良かった。
朝比奈隆指揮NHK交響楽団のブルックナー交響曲第9番(2000.5Live)を聴いて思ふ NHK交響楽団第2060回定期演奏会Aプログラム
2026年4月12日(日)14:00開演
NHKホール
ヤン・フォーグラー(チェロ)
長原幸太(コンサートマスター)
ファビオ・ルイージ指揮NHK交響楽団
・ハイドン:チェロ協奏曲第1番ハ長調Hob.VIIb-1
~アンコール
・J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調BWV1009から第3曲サラバンド
休憩(20分)
・ブルックナー:交響曲第9番ニ短調(ノヴァーク版)
一方、前半のフォーグラーを独奏に迎えたハイドンのチェロ協奏曲。
何よりハイドンが、エステルハージ家に仕えていた人だということが明確な、それこそ聴き手の痒いところに手の届く美しい名作だということが身に染みた。こちらは神ではなく、主君のための捧げものだからこそ、主君に、聴衆にわかりやすく、かつ新しいことが重要だった。
フォーグラーのチェロの音は抜けが良く、3階席まですっきりと届いたのだから吃驚だ。
オーケストラの編成は当然ブルックナーより小さい。それでも古典派の音楽が、何と豊かに、何と典雅に心に染みたことだろう。アンコールのバッハもとても良かった。
