ピリス ブラームス 3つの間奏曲作品117(2012.1Live)

ヨハネス・ブラームスや盟友ヨーゼフ・ヨアヒムには、「永遠なる真の我」という正しい認識があったと思われる。少なくともヨアヒムは東洋思想にある程度精通していたようだし、ブラームスも詳細は知らずとも、その言わんとすることを即座に認識できるほどの理解力は持っていたようだ。

「ブルワー=リットンはインドである老僧に出会ったが、この僧は東洋の教えに見事なまでに通じていた。この有名作家が述べるところの多くの“永遠の真理”は、この僧を通して自分のものにしたのだという。その一つが、彼が英訳してくれたこのささやかな詩に体現されている。作家によると、詩の作者はおそらく老子だという。中国の哲学者にして、道家として知られる古代宗教の創始者だ。ブルワー=リットンがかの仏僧から伝え聞いたことを、作家自身の言葉で引用してみよう。
『老子が生きていたのは紀元前約500年で、孔子よりはるかに偉大な人物だ。それにも関わらず、孔子ほどには知られていない。孔子が創始した儒教は宗教ではなく、この世の処世訓を示す道徳律だ。イエスのように正直であれと説いており、多くの点から見て素晴らしい。だが、神や死後の世界については何も触れていない。一方で、老子は大変に宗教的な人物だ。肉体の死後の世界や万能の力というものを固く信じており、その力の上で、我々はこの世にあって自分自身を成長させることができる。500年後のイエスと同じく、彼はこの力を霊と呼び、確信を持ってこう語った。「我々は霊を定義できないが、自分のものとすることはできる」』」。
「まさにその通り!」ブラームスが声を上げた。「作曲する時はいつも、あの同じ霊を自分のものとしていると感じる。イエスがしばしば言及していたものだ」。

アーサー・M・エーブル著/吉田幸弘訳「大作曲家が語る音楽の創造と霊感」(出版館ブック・クラブ)P20

最晩年のブラームスが実際に語ったとされる作曲の秘密は、眉唾ととらえる人もあろうが、この行は、それが間違いのない真実であることを証明してくれる。歴史上の、ほとんど秘密裏にあった「道」の根源の一端がここで語られているのだから真実の出来事だったのだろうと僕には思えるのだ。

ここでいう「霊」はキリスト教でいう「聖霊」であり、儒教でいう「明徳」、そして仏教でいう「菩薩心」だろう。ブラームスは、作曲、あるいは創造行為というものを通じて、世界のからくりがわかっていたのだと思う。そして、「霊」こそが「真我」であり、音楽の創造の際にこの「真我」でとらえることが重要だということを語っていたのである。

僕は目から鱗が落ちた。
そして、晩年の名作、3つの間奏曲作品117を聴いた。

ブラームス:3つの間奏曲作品117
・第1番変ホ長調
・第2番変ロ短調
・第3番嬰ヘ短調
マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)(2012.1Live)

ロンドンはウィグモア・ホールでのライヴ録音。
清澄で、静かで、透明で、老境のヨハネスの孤独、寛容、慈愛、そういうものを現出する名曲たちが、徐に奏される様子に、僕は瞑想した。
もはやこの頃のピリスは、ブラームスの老境と同質の、枯淡の境地を獲得していたのだろうと想像する。

何度か実演を聴いた、あの時の印象が蘇る。
どれもが夢見るようなひとときだったが、彼女の奏でるピアノの音に僕はいちいち感激した。久しぶりのブラームスにも思わず唸った。

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