
青年期のアーノルト・シェーンベルク。
この頃、最も影響を受けたのはモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ドヴォルザークだったらしい。
アメリカ時代の第一作は、作品番号のない調性音楽《弦楽合奏のための組曲》であったが、さらに調性音楽を再び守備範囲に入れる方向に大きく踏み出したのは、《弦楽合奏のための組曲》を初演したオットー・クレンペラーの委嘱で、1937年にブラームスの《ピアノ四重奏曲》ト短調作品25の管弦楽編曲をおこなった後である。すでに詳しく論じたユダヤの伝統に基づく《コル・ニドレ》を調性で書き、続いてウィーン時代の遺産といえる《室内交響曲第2番》の完成に向かったのである。
~石田一志著「シェーンベルクの旅路」(春秋社)P438
ホリガー指揮ローザンヌ室内管のシェーンベルク第2室内交響曲ほか(2013.1録音)を聴いて思ふ
シェーンベルクのすごさは、ピカソ同様、基本を押さえつつ独自の路線を創出したことだ。
そして、必要とあらば(?)時流に乗り、どんな風にも表現方法を変えることができたことだ。
ブラームス作品の編曲の委嘱元がクレンペラーであったという事実。
現代の音楽への造詣が深かったクレンペラーの先見の明とでもいうのか、ブラームスの音楽に新たな光を灯したシェーンベルクの本懐ここにあり。
シェーンベルク自身は、ブラームスの語法を遵守したというが、明らかにシェーンベルクの方法が明滅する、ブラームス=シェーンベルクという、再創造された交響曲の妙。
もしもブラームスならば、もっと内側に向くはずのエネルギーが、外へ外へと拡がるのだから、これは間違いなくブラームス独自の音ではない。
何より第3楽章アンダンテ・コン・モトの愁いを秘めた旋律美に感動する。
ネーメ・ヤルヴィ指揮ロンドン響のブラームス/シェーンベルク四重奏曲作品25を聴いて思ふ
それにしても終楽章ジプシー風ロンドは、まったくブラームスらしくない打楽器が多様に導入されており、その点がまたシェーンベルクの革新的仕業であることがわかって興味深い。(本当はもっと渋い、重厚な音楽であってほしいものだ)
ネーメ・ヤルヴィの挑戦。
今年、日本フィルに客演し、フルトヴェングラーの交響曲第2番を披露する予定だったが、キャンセルになったことが残念でならない。
そして、エドマンド・ラッブラ(1901-86)編曲による高雅で優美なヘンデル・ヴァリエーション。グスターヴ・ホルストとシリル・スコットに学んだ作曲家であるラッブラは、この2人の作曲家の神秘主義や東洋思想への関心を引き継いでいるということだが、どちらかというと木管、金管群を多用した(神秘的というより)開放的で、明朗な音調がまたブラームスらしさをスポイルする(悪い意味ではない)、編曲者の個性が前面に出された音楽になっている。
ヨハネス・ブラームスは最も西洋的な音楽家だった。
そしてまた、いかにもドイツ精神を体現した、堅牢な外観を持つ緻密な音楽家だった。

