今井信子のバッハ「無伴奏チェロ組曲BWV1007-1009」を聴いて思ふ

bach_cello_suite_1-3_imai_viola112ケーテン時代の、それも前妻マリア・バルバラが亡くなる前後の、そんな時期に生み出された音楽が人々の感性に訴えかけないはずがない。人間バッハの壮絶な想いが託されていて当然の音楽は、ほぼ人目に触れることなく長い年月を経て熟成され、20世紀初頭にパブロ・カザルスによって偶然発見され、蘇演されて以降、急速に命を吹き返した。

昨夜聴いたニルス・メンケマイヤーのアンコールのバッハに触発された。
バッハの素晴らしさのひとつは楽器を選ばないところ。昨日も、音楽そのものが足すことも引くことも不要な、「完全さ」の中にあった。たった一挺のヴィオラが自ら、もともとはチェロのために書かれた音楽を、まるで奏者を感じさせずに奏でていた。
そして、固唾を飲んで見守る聴衆の中にあって僕は、わずか数分の儀式にひとり大いなる喜びと感動の内にいた。

あらゆる楽器によって演奏されてきた崇高な音楽は、チェロともヴァイオリンとも異なるいぶし銀の音色を得て飛翔、聴く者の心に一層直接に突き刺さる。
今井信子は語る。

私の音楽生活のスタートラインを切った思い出深いプエルトリコでのチェロ組曲は、私にとって何十年たっても試行錯誤の連続ですが、いつの日か、私、そして楽器を超越できたときに(私の姿と楽器を感じさせなかった時に)バッハの深遠の境に少しでも近づくのかもしれません。音楽家としてバッハの存在を幸せに思える日々に感謝しています。
~ライナーノーツ

まさに本人が「私の姿と楽器を感じさせなかった時に」と言うように、満を持して録音されたこの演奏には、敬虔で深遠なバッハの魂が宿り、バッハの音楽だけがただ鳴り渡る。

J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲(ヴィオラ演奏版)
・第1番ト長調BWV1007
・第2番ニ短調BWV1008
・第3番ハ長調BWV1009
今井信子(ヴィオラ)(1997.6.16-18録音)

第3番ハ長調BWV1009の明快な舞曲に自然と笑みがこぼれる。特に最後のジーグの愉悦と自由、解放は今井信子の真骨頂!
第1番ト長調BWV1007は、意外にもゆったりとしたテンポの前奏曲からエネルギー全開。クーラントに聴く哀感に、やはりバッハの宗教心から生まれ出たそもそもの音楽の本質を思う。そして、第4曲サラバンドの眠りに誘われるが如くの音調に、音楽を通して世界の平和と安らぎを願う今井信子の本懐を見る。
人は生を得た瞬間から死に向かって歩み始める。それが現世での人生というものなのだが、肉体は死しても魂は決して死なない。今井信子のヴィオラを得たバッハの音楽は、その肉体を超えて魂とひとつになる奇蹟を喚起するよう。

ヘルマン・ヘッセは、バッハの音楽を評してかく語る。何という優れた表現であろうか。

人びとは心よろこばしく、自由になって、あらたな偉観を出迎える。そしてそれはやって来る。大きな自由な身ぶりで巨匠バッハが彼の神殿に歩み入り、感謝をもって神にあいさつし、祈りから身をおこし、讃美歌の言葉をかりれば、神への帰依と日曜日の気分を楽しむことに着手する。しかし、開始して多少の空間を見いだすや、たちまち彼はハーモニーをいっそう深くかりたて、動きのある多くの声部のうちに、メロディーどうしを、またハーモニーどうしを組みこませ、音の建築をささえ、高め、仕上げ、教会をはるかに越えて、高貴で完全な体系にみちあふれた天界に達する。あたかも、神が眠りにつき、杖とマントを彼にゆだねたかのようである。
「音楽の手帖バッハ」(青土社)P48-49

当を得たり。

 

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