
ルドルフ・ケンペのライフワークたるシュターツカペレ・ドレスデンとの「リヒャルト・シュトラウス管弦楽作品集」は、いずれもが孤高の演奏を誇り、座右のセットとしておすすめの逸品だ。
まもなくケンペの半世紀目の命日(5月12日)を迎える。
ケンペの音楽には堅牢な様式からはみ出すような熱気がある。
それは、内側で燃焼する、ほとんどブラームスの方法に近いものだ。
だからこそ古びず、その音楽は未来永劫(?)新鮮さを誇る。
(あくまで個人的な印象なのだが)
筆まめなロマン・ロランは、シュトラウスと交わした会話の多くを、詳しく日記に書き残している。それはシュトラウスの人柄や音楽観を知る上で、かけがえのない資料となっている。
1900年3月、シュトラウスは2回のコンサートを指揮するためにパリに行った。3月1日、ロラン家の昼食におけるシュトラウス。
「彼の顔は皴一つなく、子供のようにつやつやしている。素晴らしく広い額、明るい眼、ほっそりした鼻、縮れた髪、顔の下の部分は少しいびつな印象を与え、皮肉や不満を表現する時には、しばしば口元を醜く歪める。とても背が高く、肩幅が広い。注目すべきその両手は、細く、長く、よく手入れされ、やや病的なほど貴族的で、これだけは普段の打ち解けた、庶民的な外見にそぐわない。テーブル・マナーは大変悪く、皿の側で足を組んで横座りしたり、食べる時に顎の側まで皿を持って来たり、小さい子供のようにボンボンを口に詰め込んだりする。彼が好意を抱いている相手には、とても暖かく接するが、興味のない相手にはほとんど耳を貸さず、なかば背中を向け、ただ『ええ?』と訊いたり、放心したように『ああ、そう』と答えるだけだ。社交での彼は、時々目を開きながら眠っているように見える」
~田代櫂著「リヒャルト・シュトラウス—鳴り響く落日」(春秋社)P137-138
こういう詳細な描写は貴重だ。
シュトラウスの人となりが実に明白だが、しかし、こと芸術に関していうなら、その人柄や性質が音楽そのものに影響を与えるのかといえば否だ。
(ちょうど、リヒャルト・シュトラウスが、交響詩「英雄の生涯」を書いていた頃の話だから余計に僕にはそんな風に思える)
(しかし、シュトラウスの俗物ぶりはこれ以外のところでも十分発揮されているようだから、そういう人だという認識で良いだろう)
ちなみに、この極めて個人的な作品について、シュトラウス自身は次のように報告している。
ベートーヴェンの『英雄交響曲』が我々指揮者の間で評判が悪く、今ではあまり演奏されないからこそ、私は切実な欲求を満たすために大規模な交響詩を作曲し、『英雄の生涯』と名付けました(葬送行進曲こそありませんが、同じく変ホ長調で、ヒロイズムには打って付けのホルンもたっぷり使ってあります)」
~同上書P134-135
ベートーヴェンへのオマージュ。
(そこに自身を被せる自意識過剰)
(それでもシュトラウスらしい濃厚な音楽に僕は酔い痴れる)
一方、「ティル」については、最晩年のブルックナーが再演を聴きに来ていたようだが、果たして老巨匠はシュトラウスのこの作品についてどう感じたのか? 興味深いところだ。
ケンペの指揮は、自家薬籠中の、シュトラウスへの愛情に溢れるもの。
「愉快な悪戯」というタイトル通り、紙芝居を見るような表現のメリハリは、指揮者自身が愉悦の中で遊び戯れる心の表出であり、特に管楽器と打楽器の芯のある音質に当時のSKDの素晴らしさを思う。
交響詩『ティル』は(1895年)5月6日に完成し、11月5日フランツ・ヴュルナーによりケルンのギュルツェニヒで初演された。
~同上書P119
『ティル』はその年のうちにマンハイム、ベルリン、ドレスデン、エルバーフェルトで、11月29日にはシュトラウス指揮によりミュンヒェンでも演奏された。翌年1月にハンス・リヒター指揮ヴィーン・フィルが、ブルックナーの『第4番』とともに『ティル』を演奏した時、ブルックナーが輿に載せられて聴きに来た。ブルックナーは2度目のコンサートにも足を運んだが、その年の秋に亡くなった。
~同上書P120
そして、「ドン・ファン」のいぶし銀の響きは無理のない脱力の演奏。
88年5月、シュトラウスは2回目のイタリア旅行を思い立ち、ヴェネツィアに向かう途中、パドヴァの聖アントニウス修道院の中庭で突然『ドン・ファン』の最初の主題を着想する。
最初の交響詩『ドン・ファン』は、その年の9月30日に完成した。友人テュイールに献呈されたこの作品は、女性による官能的な愛と救済を追い求める主人公が、満たされることなく破滅するまでを描いている。
~同上書P85
それでいて推進力抜群!
最高。
