バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルのハリス交響曲第3番ほか(1985.12Live)を聴いて思ふ

harris_schuman_bernstein_nyp488アメリカの現代音楽作曲家の作品というのはどれも予想以上に情緒に溢れる。
もちろんジョン・ケージのような前衛性の高い、常人が考え付かないような新しいことを生み出す人もいるが、ヨーロッパの伝統に根ざした、それでいてアメリカらしい音楽を、つまり、旋律に富み、どちらかというと大仰な表現が支配する音楽を得意とする作曲家のいかに多いことか。

実際、多くのアメリカ人作曲家は、ナディア・ブーランジェがアメリカの現代の音楽に霊感を与えたと認めている。
ジェローム・スピケ著/大西穣訳「ナディア・ブーランジェ」(彩流社)P92

ナディア・ブーランジェの功績が大きいようだ。

その当時(1924年)、ナディア・ブーランジェのもとに群がっていた学生のうち最も知名度の高かったのは、ウォルター・ピストン、ヴァージル・トムソン、セオドア・チャンラー、ロバート・デラニー、そして、ロイ・ハリスであり、そのほとんどがすぐに彼女の熱烈な支持者となった。
~同上書P92

レナード・バーンスタインが晩年に録音したロイ・ハリスの交響曲第3番。
まるで滔々と水の流れる大河のように、弦楽器の旋律が深い呼吸を伴って響く。時に哀しげな大声を上げるが、その冒頭はまるでヨハネス・ブラームスの如し。(僕の耳には)かのニ長調のヴァイオリン協奏曲の主題が木魂するのである。

つまり言わんとしているのは、ハリスは女々しいクラシック野郎でもブルジョワのお気に入りでもないということなのだ。ハリスが全国的な注目を集めた作品は、1938年の交響曲第3番である。アメリカ特有の賛美歌と舞曲による管弦楽作品で、弦楽器がゆったりと際限なく続くメロディを朗唱し、金管楽器はバルコニーでカウボーイのように歌って大声で叫び、ティンパニは小節の中央で強烈な拍を叩く。そうした肩幅の広い音は、本物のアメリカの交響曲のあるべき姿にたいする皆の期待に適っていた。トスカニーニが1940年にいやいやこの曲を指揮したとき、ピッツバーグ・パイレーツのオーナーは、作曲家にこう手紙で書いてよこした。「君の交響曲のように力強く投げられるピッチャーが何人かいたら、私の悩みも消えるだろうに」。
アレックス・ロス著/柿沼敏江訳「20世紀を語る音楽1」(みすず書房)P295

「肩幅の広い音」とは何と上手な表現!

・ハリス:交響曲第3番
・ウィリアム・シューマン:交響曲第3番
レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団(1985.12Live)

第1部「悲劇的」のうちにある安らぎ。
また、第2部「抒情的」のヴァイオリンの甲高い旋律に霊感を覚える。
あるいは、「田園的」と題する木管の優しい音色には、生きとし生けるものへの感謝の念が投影されるよう。
そして、第4部「フーガ」に聴く旋律はどこかで耳にしたことのあるような・・・、何だったか思い出せないけれど。
素敵な曲だ。ハリスの交響曲第3番は単一楽章であるところがミソ。
ちなみに、ウィリアム・シューマンの交響曲第3番でも聴き慣れた旋律がところどころに顔を出すのだが(例えば、第1部のフーガ)、それが一体何なのかが今は思い出せない。

ところで、レナード・バーンスタインがナディア・ブーランジェに送った手紙には次のようにある。

あなたは本当に偉大なご婦人です。あなたから受けた全ての恩義は決してお返しすることは出来ないことでしょう。今になって、なぜ作曲家の友人が揃いも揃ってこれまであなたのことを長きにわたり語ってきたかわかりました。
~ジェローム・スピケ著/大西穣訳「ナディア・ブーランジェ」(彩流社)P92

バーンスタインの再現したハリスやシューマンの素晴らしさの所以がここにある。何と言っても思い入れたっぷり。抒情とうねりに満ちる。
そこにはナディア・ブーランジェの心魂が刻み込まれているのだ。

 

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