The Tatum Group Masterpieces, Vol.8 (1975)

人はともすると情報に左右されがち。
情報の洪水に飲み込まれて真偽の判断がつかなくなること多々。
メディアによる洗脳ほど怖いものはない。五感を磨き、上手に使うべし。
真贋を見極めるためベートーヴェンは耳疾を得たのだろうかと思えるほどだ。
おかげで「楽聖」と呼ばれるほど彼は天の声を聴くことができた。
(「耳」を「呈する」と書いて「聖」)
だからこそ永久不変の、数多の普遍的な傑作を創造することが可能だったのである。

アート・テイタムはほぼ盲目だったゆえ、心の眼で見、心底から音楽を創造できたのだろうと思った。彼の類稀なるテクニックについてはもはやここで語るまでもないが、技術以上に神が彼にもたらした天才は、むしろそのハンディキャップがあったからこそなのだ。
(昨今は、ハイディキャップ・パースンをギフテッドと呼ぶが、なるほどと納得)

キエザ ヤンセン ウェストミンスター合唱団 トスカニーニ指揮NBC響 ブラームス ドイツ・レクイエム作品45(1943.1.24Live)

ある日、アート・テイタムの演奏を聴いたウラディーミル・ホロヴィッツが、感動のあまり翌日、義父であるアルトゥーロ・トスカニーニをクラブに連れて行ったという逸話がある。
トスカニーニも度肝を抜かれたそうだ。
おそらく即興性抜群のアートの演奏は実演で聴けば一層神懸っていたのだろうと思う。

最後の録音が素晴らしい。

しかもテイタムは、このレコーディングを終えた8週間後の1956年11月5日に帰らぬひととなってしまった。彼に関する記述によれば、この吹き込みが行われた時点で死を覚悟していたとのことだ。文字通りのラスト・レコーディングを行いながら、テイタムは心の中でどんなことを思い浮かべていたのだろうか。
(小川隆夫)
VICJ-60320ライナーノーツ

・The Tatum Group Masterpieces, Vol.8 (1975) (1956.11.5録音)

Personnel
Art Tatum (piano)
Ben Webster (tenor sax)
Red Callender (bass)
Bill Douglass (drums)

真剣勝負!
珠玉のスタンダーズがここぞとばかりに刺激的に繰り出されるが、ここではベン・ウェブスターのテナーが大いなる力量を発揮していて面白い。

「風と共に去りぬ」(ハーブ・マジッドソン作詞/アリー・ヴルーベル作曲)は、映画製作のまえに作曲されている逸品。

コール・ポーター作の「ナイト・アンド・デイ」のノリの良さ!こういう明朗な音楽は人を幸せにするだろう。
文字通り、夜も昼も、一日中。

それにしても鍵盤上を軽々転がすようなテイタムのタッチに、そして、ほとんどアドリブと思えるような音楽に、やっぱりテイタムは天才だったのだと思った次第。
あらためて音楽はジャンルを超えるのだと確信する。
その日、そのときの感情によって聴き分けるが良い。
そして、ほぼ目が見えないピアニストのセンスがどれほどのものだったか知るが良い。

情報の洪水ほど怖ろしいものはない。
心眼で真贋を見極めるべし。

何故なら、テイタムと共に音楽をクリエイトしようとスタジオにベンがやってきたとき、彼が持ち合わせていた音楽的に自慢のできるものはひとつしかなかったからだ。しかしこれは他のミュージシャンたちの素晴らしい音楽性を束にしてもかなうものではなかった。彼は彼にしか出せないトーンを持っていたからだ。そしてわたしが常に信じてやまないことだが、個のトーンこそが—そしてもちろんプロとしての本能がその重要性を判らせていたとは思うが—テイタムの音楽に対し、ベンが自分の個性を合わせることに成功した最大の要因だったのではないだろうか。そしてこれがすべてに関与していくのである。
(ベニー・グリーン)
~同上ライナーノーツ

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