ピリスのモーツァルトK.283, K.284 & K.330(1990録音)を聴いて思ふ

mozart_5_6_10_pires583純粋でいることは難しかろう。
しかし、無垢であることがどれほど楽でどれほど輝かしいことなのか、最初に教えてくれたのはモーツァルトだった。
残された彼の無邪気な手紙類は、時に大人びた哲学的なものであるにせよそのほとんどが真に微笑ましい。もちろん音楽は・・・。

18歳のモーツァルトによるソナタト長調K.283。僕の青春の愛聴曲。
特に第1楽章アレグロの主題に僕は惚れ込んだ。40年近く前のこと。
同じ年頃の天才が創造した事実に感動した。ヨーゼフ・ハイドンの影響を受けているとはいえ、ここにあるのは間違いなくヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの魂の叫び。

幼少から欧州中を旅して周ったモーツァルトが求めていたものは母性だったのだろうか。同じ頃、歌劇「偽りの女庭師」上演にまつわる報告、母に送る手紙の何という愛らしさ、そしてどこか切なさ。

ぼくのオペラはありがたいことに、昨日上演されました。とてもいい出来だったので、その評判はママには伝えられないほどです。第一に劇場は大入り満員で、大勢の人が引き返さなくてはなりませんでした。ひとつのアリアが終わるごとに、いつも拍手と驚嘆のどよめきとマエストロ万歳の叫び声です。
選帝侯妃殿下も太后も(ぼくの向かい側におわれて)ぼくにブラヴォーと言われました。オペラが終わり、次のバレエが始まるまで、たいていは静かなものですが、ただもう拍手とブラヴォーの叫びだけでした。ぼくはパパと一緒に、選帝侯たちがお通りになる部屋へ行き、選帝侯、同妃殿下および高官方の手に接吻しました。みんなとても寛大に迎えてくださいました。
(1775年1月14日付、モーツァルトからアリーア・アンナ宛)
高橋英郎著「モーツァルトの手紙」(小学館)P146

弾ける愉悦の内に明滅する深沈たる寂寥感は、母から生れ出づるものの共通した悩み、おそらく母を求める孤独感にあったのではないか。ピリスの演奏を聴いてそんなことを思った。

モーツァルト:
・ピアノ・ソナタ第5番ト長調K.283 (189h)
・ピアノ・ソナタ第6番ニ長調K.284 (205b)「デュルニッツ」
・ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330 (300h)
マリア・ジョアン・ピリス(ピアノ)(1990.7&8録音)

優しいモーツァルト。可憐なモーツァルト。一方で涙するモーツァルト。
神童とはいえ、彼も人の子。
寂しいときは素直に「寂しい」と、悲しいときは嘘偽りなく「悲しい」と心開いて伝えよと教えられるかのよう。慈愛に溢れる。

ママも元気でいてください。ママの手にキスを、うん・・・郎の弟と一緒に。
(1775年1月5日付、姉ナンネルからマリーア・アンナ宛)
~同上書P145

この伏字はどうやら「うんこ野郎」らしい。
姉ナンネルにとって弟ヴォルフガングは「うんこ野郎」だったのである。姉弟共通の下品なおふざけが実に興味深い。
それにしてもニ長調ソナタK.284終楽章アンダンテ(主題と12の変奏)の堂々たる音楽に感動。あるいはまた、ハ長調ソナタK.330の清澄な響きにピリスのモーツァルトへの尋常ならざる愛を垣間見る。第1楽章アレグロ・モデラートの美しさ。第2楽章アンダンテ・カンタービレの懐かしさ。そして終楽章アレグレットの喜び。
いつの時代のモーツァルトも普遍だ。

乾季にあって一滴の水の如くのピリスのモーツァルト。
蒸し暑い夏の夜の癒し・・・。

 

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6 COMMENTS

雅之

ご紹介の名盤も、もはやボックスセット内の一枚ですか。
いつものことながら悲しくなります。

ボックスセットCDには、何の購買意欲も涌きません。

自社製品に対する愛が感じられないから。

投げ売りじゃあね(怒)。

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岡本 浩和

>雅之様

残念ながらその通りです。
雅之さんはボックス否定はなのですね・・・。
僕は出逢えなかった名盤や思いもよらない名盤に出逢えるチャンスがあるので、好きです。
特にオリジナルジャケットとなると堪りません。
投げ売りといわれればそれまでですが・・・(苦笑)

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雅之

それと、こんなことを言うのは少数派だと自覚しているのですが、CDの読み取り面と、紙やビニールが接触しているのが嫌いなんです。

そういう意味では、紙ジャケも大嫌いです。SACDの紙ジャケなんて、あれでよくみんな幸福感に浸れるものだと不思議に思っています。

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岡本 浩和

>雅之様

確かにそういう視点もありますよね。
たぶん性格もあると思うのですが、
音盤は消耗品なので、まとめ買いの数百円なら「ま、いいかな」と僕なんかは考えてしまいます。
というよりそういう風に考えたことがありません。
ちなみに、普通のケースとデジパックと紙ジャケが並んでいたら間違いなく僕は紙ジャケ派です。(笑)
なんとなくアナログ懐古に浸れるので。(これもまた何となくといい加減な感覚なのですが)

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雅之

>音盤は消耗品なので、

おっしゃる通りです。
若い世代が、CDという中途半端な古い規格に見切りをつけるのは当然の流れだと思います。

なにも、音楽が好きだからといって、物で所有する必要はないわけですし・・・。

「物で所有する必要がなくなり、音楽はモーツァルトの時代に戻ったと言えよう」(宇野さん風)

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岡本 浩和

>雅之様

>「物で所有する必要がなくなり、音楽はモーツァルトの時代に戻ったと言えよう」

名言です!
いただきます。(笑)

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