フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのR.シュトラウス「家庭交響曲」(1944.1Live)ほかを聴いて思ふ

r_strauss_sinfonia_domestica作曲家にとって創作の動機はいろいろあれど、きっかけはやっぱり体験というものが主なのだろうと思う。
リヒャルト・シュトラウスの場合、幼少からの刷り込みが作品に与えた影響は至極顕著である。そもそも彼にとって母も妻も、「女性という存在」そのものが大変に大きかった。

だがシュトラウスには、自ら「恐妻家」を演じて面白がっていたふしがある。実際のシュトラウス夫妻は、かけがえのない伴侶として深く愛し合っていた。ある時シュトラウスは、ヴィーンの息子夫婦のところに、一人で一週間滞在した。アリーチェは義父が快適に過ごせるよう、あらゆることに心を砕いたが、三日目にシュトラウスはこうため息を吐いた。
「お前たちは親切で、とても良くしてくれる。だが―これじゃ死ぬほど退屈だ!私は家に帰りたいよ、ママのところへ」
田代櫂著「リヒャルト・シュトラウス―鳴り響く落日」(春秋社)P20

シュトラウス夫妻にとって、日々のいざこざは多々あれ、互いになくてはならない存在だったということだ(その意味で彼らはまさにツイン・ソウルであったのか)。夫リヒャルトの作品の多くは、妻パウリーネへの密かな愛に溢れている。一方、母ヨゼフィーネに対して・・・。

母ヨゼフィーネは70年代末頃から、劣等感による鬱病に悩まされ、親族から追いかけられるという妄想に取り憑かれた。自分が家族の邪魔になっているのではないか、いなくなった方がよいのではないか、娘婿の出世をさまたげているのではないか、と彼女は心配を繰り返した。84年から著しく精神不安定になり、医者が多量のモルヒネを処方したため、85年に躁狂の発作を起こし、2か月間医療施設に収容された。
~同上書P62

背景には父フランツがヨゼフィーネに辛く当たっていたことがあるといわれる。幼少のリヒャルトは日常のそんな光景をいつも目の当たりにしていたのだろう。
こういうところに彼が母性をひたすら求める原体験があるように思う。

欠けた母の愛を、生涯追い続けた母性をリヒャルト・シュトラウスは自らの作品に無意識に刻み込んだ。
そんな彼の音楽を、ことさら劇的に再現したのがヴィルヘルム・フルトヴェングラーだ。
とはいえ、興味深いのは、フルトヴェングラーにとって作品の背面にある作曲家の思考や感情はどうでも良かった。この指揮者にとってはおそらく、ただ音楽の説得力のある再現だけが重要だったのである。

リヒャルト・シュトラウス:
・家庭交響曲作品53(1944.1Live)
・交響詩「ドン・ファン」作品20(1942.2Live)
・交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」作品28(1943.11Live)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

あまりに巨大で、あまりにデモーニッシュな「家庭交響曲」。
終曲に向けての絶対的解放に舌を巻く。弦楽器はうねり、木管楽器はなき、金管楽器が爆発する様に、日常を超えた精神世界を想像するが、フルトヴェングラーにとってはそんなことすらひょっとするとどうでも良かったのかもしれない。
何にせよ彼はすべてを(あくまで主観的な)「絶対音楽」として再現しようと努めるのである。

リヒャルト・シュトラウスは、絶対音楽から離れた瞬間に無能さを露わにした。彼は絶対音楽に「耐えられ」なかったのだ。のち彼が特別の仕事をなした場合、それは常に絶対音楽家としてであった。
芦津丈夫・石井不二雄訳「フルトヴェングラーの手記」(白水社)

戦時という時代背景の中で、フルトヴェングラー&ベルリン・フィルによるこの鬼気迫る同時代の音楽は、どれだけ聴衆の魂を癒したことか。
それは、後世の僕たちが勝手に批評したり、云々できる立場にないくらいの、極めてピンポイントの出来事だったのだろうと思う。その意味では残されるべき録音ではなかった。
「ドン・ファン」も「ティル」も実に壮絶。

フルトヴェングラーもシュトラウス同様、生涯母性を追い求め続けた。
代名詞となるあの悪魔的音響は、あらゆる女性を惹きつける色香となった。
完璧でなかったがゆえの不完全さこそが芸術の肝。今夜の空想も我ながら面白い。

 

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2 COMMENTS

雅之

「家庭の幸福は、妻への降伏」 安倍 晋三

この言葉だけは、嘘偽りのない、安倍首相が今までに述べた最高の名言だと思っています。
何でもそのくらい謙虚な態度ならいいのに・・・(笑)。

R.シュトラウスの話題から思い出しました。

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岡本 浩和

>雅之様

へぇ、安倍さんはそんなことをおっしゃったのですか!!
さすがですね。昭恵さんあってのすべてなのだと思います。

>何でもそのくらい謙虚な態度ならいいのに・・・

同感です!

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