学ぶこと、教わること

先週、「産学協同就業力育成シンポジウム」に参加してみて、全体として有意義な試みであるとは思ったものの、入場者のその後のアンケートにおいて賛否両論だったことを小耳にはさみ、やはり企業側も大学側も真の意味で人を教育する上でまだまだ腹をくくれていないのではとも感じた。当日のパネル・ディスカッションの中で、企業側にもう少し明確なメリットが見えないと多くの企業の賛同、協力を得られないのではという話が出ていたが、(少なくとも僕の20年間の体験から言うと)人材(主体性があり、コミュニケーション能力に長けているという)を育成してゆく上で、短期的な視点からはメリットが見えづらいというのも確かで、企業が二の足を踏むのも理解はできるが、腰を据えて中長期で取り組もうとする姿勢、覚悟が企業にも大学にもやっぱり必要だと強く思うのである。そもそも人材教育(というより人間教育)という分野そのものが、今の経済発展第一の社会の中ではビジネスになりにくいものなんだろうけれど(なんだろう・・・、小手先のテクニックに走らない本当の意味での人材教育、育成というのはお金儲けとは別の次元でなされるものなんじゃなかろうか)。

ところで、このところ合気道の稽古に通っていて気づくこと。
礼節というものが武道では重んじられるが、いかに自分が日常の中で「礼儀」というものに無関心だったかということ。神棚が祀られているところからも、道場は神聖な場所であることがわかるが、「場」に対しての感謝、あるいは先生や先輩に対する敬意、それらをあたり前のように表することが咄嗟にできなかった自分に愕然とする。ほかにも何気ない作法ひとつをとってみてもすべてに意味があり、おそらく昔の日本人が大切にしていたであろう「敬う」心構えを自分がすっかり忘れてしまっている(いや、ひょっとすると最初から身についていなかったのかも)ことに悔しいやら情けないやら・・・。

そんなことは誰にも教えてもらえなかったという一言では済まされないだろう。社会生活を送ってゆく上において、テクニックやスキルの詰め込みだけでは身につけられない大切なことは多い。身をもって学び取ることの重要性。自分から主体的に学ぼうとする姿勢。武道から学ぶことは本当に多い。多謝感謝。

シューベルトを聴く。今度の日曜日に、アタッカ・カルテットの第7回大阪国際室内楽コンクール優勝グランプリ・コンサートがあり、第12番「四重奏断章」が演奏されるということでその予習も兼ねて。
まずは、久しぶりに聴いて、思わず引き込まれたト長調のカルテット。わずか10日間で書かれた最晩年の孤高の傑作。とても29歳の若者の筆とは思えない厳しさよ。そこには真冬の凍てついた氷のような冷たさと、時折見せるユーモアに溢れた喜びの表情が同居する。

シューベルト:
・弦楽四重奏曲第15番ト長調D.887
・弦楽四重奏曲第12番ハ短調D.703「四重奏断章」
アルバン・ベルク四重奏団

そして、「四重奏断章」。シューベルトには途中で投げ出した未完成作品が多いが、そんな中でこの作品はたったひとつで独立しているかのような錯覚を覚えるほど実に完成度が高い(作曲家23歳の時の作品であるというのが何よりの驚き・・・)。90年代後半、アルバン・ベルク四重奏団が一番脂ののっていた頃の録音で、ライブ・レコーディングならではの緊張感と、実演とは思えない緻密さが妙味。

8 COMMENTS

ほんだぱん

お久しぶりです。ちょこちょこ読ませていただいています。

実は最近、「人を育てるということ」という視点が、私の中ではとっても熱いです。
まだまだ若いつもりですが、だんだんと、中堅に差し掛かってきた最近。
自分より下の世代を見ると、
「これはそもそも大人に教わってきていないから、自分から学べ、気づけといっても、そうする為の下地が無いのではないか?」と感じることが多いのです。

>(なんだろう・・・、小手先のテクニックに走らない本当の意味での人材教育、育成というのはお金儲けとは別の次元でなされるものなんじゃなかろうか)。

私も同感です。

本当に教えることは、根気と、情熱と、愛情が必要だと思うんです。

最近の若い子は、大人が小さい頃に放任しすぎて、大事なことを根気良く教えていないのでは・・・と
良くみていて感じます。
教わっていないということは、教えることも出来ないということ。
人が人を育てられなくなってきているのでは・・・と、未来が少し不安です。
古風な私は、現場で小姑扱いされます(笑)
でも、私は、たくさんの人に、怒られたことも有るけど、教えてもらって、学ぶ為の下地をもらってここまで来たという感覚が強くあるのです。
恩返しは、ありがたいリレーを絶やさないことではないかと思い、
小姑をキャッチコピーに(笑)
ぼちぼちやっていこうかと思っている今日この頃です。

返信する
雅之

おはようございます。

今回も、複数の話題が一本のストーリーとしては未完成で、有機的に繋りきれてないですね。コメントとしても何に喰いつくか悩むところです(笑)。

でも、そういうところが岡本さんはシューベルトと、じつは気質的に近いのかもしれませんよ(微笑)。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。

>複数の話題が一本のストーリーとしては未完成で、有機的に繋りきれてないですね。

そうなんです(苦笑)。
ぽつぽつと頭の中に思考が湧くのですが、湧いては消え、湧いては消え、を繰り返します(笑)。
無理に考えることはやめたので(笑)有機的に結び付けようとも思いませんでした。ただの思い付きに過ぎません。

>シューベルトと、じつは気質的に近いのかも

確かに!最近、シューベルトやマーラーにシンパシーを感じます。

毎々の雅之さんの優しいお心遣い、ありがとうございます。

返信する
岡本 浩和

>ほんだぱん
久しぶりです。
Facebook読みましたが、大変そうで・・・。
何て言っていいのか、かける言葉が思いつかずコメントできませんでした。

>「これはそもそも大人に教わってきていないから、自分から学べ、気づけといっても、そうする為の下地が無いのではないか?」

やっぱり長い歴史の中で培ってきたシステムに問題があるんだろうね。そろそろ「しくみ」の限界だと思います。
そういう意味では若者は悪くないんだよね。もちろんそれが気になる小姑の問題でもないし(笑)。

>、根気と、情熱と、愛情が必要

そうそう、さて、どうしよう??(笑)

返信する
ほんだぱん

あれ、岡本さんに、さてどうしよう?と言われるとは(笑)

ここは岡本流でいってみたらいいのではと思います。

っていうか、私はセミナーで学んだことが、フル活用されてます(笑)

う~ん。まずは、意識を向けて、感じて、動いてみて・・・

その結果に、また意識を向けて、感じて、修正していく・・・しか思いつかない(笑)

気持ちもアップダウンするだろうけど、それもとことん味わうしかないでしょうし。

これを「仕組み」につくっていくのは、かなり大仕事でしょうね。
なぜって、「仕組み」以前のその根幹となる「意識」の部分の話だから。
そこは、決まりやシステムで縛りきれないですもの。

一粒ずつ、種を撒くような、
砂の一粒を、投げ続けるような、
茫漠とした作業が、大事になってくるのかもしれないですね。

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岡本 浩和

>ほんだぱん
ありがとう。
そうだよね、岡本流だよね。
いやあ、僕も人並みに人間なので(笑)、壁にぶつかることもあるもので・・・。
ほんだぱんに再確認させてもらいました。
ありがとう。

>一粒ずつ、種を撒くような、
砂の一粒を、投げ続けるような、
茫漠とした作業が、大事になってくる

おっしゃるとおりです!!

いまある状況を正面から受け止めて、ひとつひとつ着実に行動を起こしてゆく、そしてだめなら手を変え品を変え・・・。ほんだぱんも頑張ってください。逆境は乗り越えるためにあります。

返信する
ほんだぱん

見守ってくださって、本当にありがとうございます。
病気にも、病院にも、医師にも、看護士にも。
岡本流で、全力を尽くします。

乗り越えた先の景色が、だんだん楽しみになってきた今日この頃です。

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