夢幻

faure_piano_quintet_hubeau.jpgベートーヴェン同様致命的な病-そう聴覚障害に冒されたガブリエル・フォーレの晩年の音楽はどれも渋く肌触りは決して心地よいとはいえない。しかし、一度その「音の流れ」を理解するや虜にさせる「毒」をもっている。
20世紀に入り、彼はパリ音楽院の院長に就任することになるが、その重責を全うするため生活の大半をその職務に費やし、それ以前に比べ作品数が激減する。

「私は致命的な病によって打ちのめされています」(1903年8月11日妻への手紙)

「ベートーヴェンに長期にわたってつきまとった絶望感やシューマンの苦しみは、彼自身のものでもあったのです・・・難聴に加えて、不幸にも彼にはより悪質なデフォルメした音が聴こえ、低音域は三度高く、高音域は三度低く感じられたのです。そしてただ中音域のみが弱いながらも正確に知覚されていました。」(フォーレの次男フィリップの回想)

五感のうちの一つが、それも音楽を職業にする者にとって最も大切だと思われる聴覚が正常に働かないということはどれほどの苦悩であるか、凡人の僕には残念ながらわからない。とはいえ、ベートーヴェンにせよフォーレにせよ、病に罹ってからの作品がより一層昇華され、精神的な高みを有するようになっているのは、我々音楽を愛する現代人にとっての最高の贈物なわけだから、そのことに感謝すべきだと考えてもいいのかもしれないなどと思ってしまう。誤解を恐れずに言うならばだ。

本日、拙宅では第2回目の「音浴じかん」が開催された。生憎の雨模様とはいえ日曜ということもありお母さんだけでなくお父さん同伴でご参加いただいた家族も多かった。どうやら両親が揃っていると子どもは安定するようだ。曲順は変更されているとはいえ前回と同プログラム。赤ちゃん向けのこういう企画はなかなかないそうで皆様にご満足いただけたよう。乳児のうちから生の演奏に触れさせることはとても重要なことだと思う。「月の光」や「トロイメライ」で癒され、「トルコ行進曲」では一緒になって踊る。子どもは素直である。

フォーレ:ピアノ五重奏曲第1番ニ短調作品89
ジャン・ユボー(ピアノ)
ヴィア・ノヴァ四重奏団

嗚呼、何とも気だるく、何ともお洒落で、何度聴いても心に染み入る。とても聴覚を失いつつある時期に書かれたとは思えない。幼い頃、ガブリエルは両親とはほとんど生活を共にしなかった。そして学校では1年中一人で広大な庭で遊ぶような子どもだったという。自然と一体になり、いつも夢見ていた少年の純粋な心が、年月を経てそのまま音化されたような夢幻性がこの音楽にはある。


6 COMMENTS

雅之

こんばんは。
ご紹介のフォーレは名盤ですね。私もこの曲のCDでは決定盤だと思います。
今夜はブログ本文の主題とは外れますが、また弦楽器の奏法の持論の続きを・・・。昨日浜松市楽器博物館に家族で行き、いろいろ刺激を受けて帰りました。今、フォーレのこの曲についても、作曲した時代(初演 1906年)の弦楽器の演奏スタイルにとても興味があります。
フォーレの弦楽四重奏曲を、1928年録音のフランスのカルテットであるクレトリーSQの演奏のLP(廃盤)で聴くと、現代の演奏ではほとんどやらないポルタメントを多用していることがわかります(言うまでもなくポルタメントには開放弦を避け、音色を統一する目的もある)。
やはり、少なくとも19世紀までのヨーロッパの弦楽器奏法は、ヴィブラートは今より控えめだったかもしれませんが(用いなかったということでは全然ないと思う)、ポルタメントについては現在主流のピリオド奏法の常識とは異なり、極めて普通の奏法だったと、私は確信しています。
先日も話題にしましたが、擦弦楽器の発祥は、7世紀~10世紀ごろの中国や中東ではないかとみられています(もっと古いかもしれない)。そのうち西に伝わったのがヴァイオリンなどの祖先だといわれています。
(参照)
http://www.co-q.com/denpa.htm
世界の現存するほとんどの擦弦民族楽器の演奏では、ポルタメント奏法を伝統的に多用しています。ヴァイオリンの17世紀~19世紀の奏法だけに、どこにもポルタメントのDNAが残っていなかったというのは、ちょっと不自然です。
現代のジミー・ペイジなどのギタリストがスライド奏法を用いるように、擦弦楽器奏者にとってポルタメントは、昔から極めて当然で大切な感情表現の手段であったと、私は推察しています。
擦弦楽器奏法の歴史についての考察は、今後の私のライフ・ワークになりそうです。絶対、現在のアカデミーの常識を一アマチュアが覆して一泡吹かせてやりたいと、密かに目論んでいるのです。夢があるでしょ(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
なるほど、深い「読み」ですね。
>擦弦楽器奏者にとってポルタメントは、昔から極めて当然で大切な感情表現の手段であったと、私は推察しています。
確かにクラシックの世界だけでなくロックでも「スライド奏法」があるくらいですからね。
>擦弦楽器の発祥は、7世紀~10世紀ごろの中国や中東ではないか
そういう意味では文化も東洋も西洋で分けるべきものじゃないですね。世にある全てのものは「そこに突如現れたのではなく、互いが互いに影響を与え合って生まれ、存在する」わけですから。
>現在のアカデミーの常識を一アマチュアが覆して一泡吹かせてやりたい
是非やってください!面白いと思います。
しかし、雅之さんとこうやって「やりとり」やらせていただいているうちに僕も相当賢くなりました。ありがとうございます。

返信する
岡本 浩和

>雅之様
こんばんは。
素晴らしい自由研究ですね!勉強になります。
rebabの映像、zeppelinのカシミールのようですね。
確かにポルタメントもヴィブラートも確認できます。
馬頭琴についても同様。
ティボーの演奏も最高です。
ギターレッスンまで・・・!
そうですね、雅之さんの持論、確かだと思います。
今後も自由研究の成果ご報告よろしくお願いします。

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