バッハのカンタータ第150番

bach_kantate_150_leonhardt.JPG就職難とはいうものの前向きで素直な若者はすんなりと「居場所」を見つけて自身のキャリアのスタートを切る。学歴社会であることは間違いないが、最低限のパスポートを持っているなら多少なりともスキルを積み上げていたなら何とかなるものだ。それに、最終的にはやっぱり「面接」での印象が鍵になるようだから、早い時期からいわゆる「人間力」をブラッシュアップしておくことが大事。人は環境に極めて左右される。周囲のモティベーションが高ければ引き摺られるように動けるが、そうでないと悲惨なことになる。特に若いうちはシビアな職場で仕事をした方が良いというのはまさにそういう理由からである。

チャンネルをたくさん持つことが重要。情報が多過ぎても選択が難しくなるので困るといえば困るが、少ないよりはましである。今の時代、とにかく情報が集まらないと何事も始まらない。捨てる神あれば拾う神あり。

問題を解決するのに誰にお願いすれば最短距離で済むのか、あるいは成果が生み出せるのか?自身の得意不得意と同時に相手のそれについてもはっきり見極めることが大切。オールマイティに全てが難なくこなせればそれに越したことはないが、そんなスーパーマンのような人は千人に一人、いや、1万人に一人のようなもの。快く仕事を引き受けてくれる仲間、あるいは情報をくれる友人を持つ人たちは幸せだ。

人はひとりじゃ生きられないことは自明の理。信頼関係を築き、それを地道に温め、より一層深めていくことは人間として一番大切な仕事じゃなかろうか。真面目に生きること。人を裏切らないという生き方。

久しぶりにプレヴィンの指揮するオルフの「カルミナ・ブラーナ」を聴いていて、この土臭い、極めて人間臭い20世紀の名曲を聴いていて、そんなことを考えた。序にあたる冒頭合唱。

おお、運命の女神よ、まるで月とそっくりに、
いつも姿勢が変わりやすく、しょっちゅう大きくなってみたり、あるいは小さくなったりする。
まったく呪わしいこの人生は、意地悪な目つきをすると思えば、
今度はまた愛想よくして見せる。ふざけた気持ちで、
ときには窮乏を、ときには権力を、氷のように溶かしてみせ。

何だか切なくなる・・・。

年末から帰国している777を交え、6人で拙宅にてランチの会。それぞれが簡単な食糧を持ち寄ってのお集まり会。こちらはお手製の2種のパスタを振る舞う。渡米直前に会って以来だからほんとに久しぶり(1年半ぶりらしい)。それでも一気に「つながる」ところはまさにセミナーによる恩恵。積もる話で大いに盛り上がる。

気持ちよくバッハの音楽でも聴こうか。

J.S.バッハ:カンタータ第150番「主よ、われ汝を仰ぎ望む」BWV150
アンスガー・ファイファー(カウンターテナー)
パウル・エスウッド(アルト)
クルト・エクィルツ(テノール)
マックス・ファン・エグモント(バス)
ハノーファー少年合唱団
コレギウム・ヴォカーレ
グスタフ・レオンハルト指揮レオンハルト合奏団

1884年、終曲のシャコンヌに感動したブラームスが、ちょうど第4交響曲作曲中であったため低音主題を終楽章のテーマとして引用したというJ.S.バッハ初期のカンタータ。歌われている内容はわからない(あえて調べていない)。宗教的背景を知悉しないとカンタータなどは極めて手強い相手だが、純粋に「音」を「楽しむ」だけという聴き方もありだろう。それにしてもレオンハルトの奏でる音楽は魔法のようだ。静かに・・・、謙虚に、・・・固まらずスムーズに・・・。


2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
>前向きで素直な若者はすんなりと「居場所」を見つけて自身のキャリアのスタートを切る。
何だかですね、今のJポップなんか聴いていても歌詞が超保守的なんですよね、世界観が画一的で・・・。
でも、若い人の価値観のあり方って、それだけでいいのでしょうか? 反抗してみて、初めて保守の有難味が身に沁みて深く理解できるのでは? 周囲の目ばかりを気にし過ぎ、型破りなところが少なく超現実主義・・・、私は、もっと自由な発想を認める世の中に憧れますがねぇ。
個人・個人は良くても、それでは国力が確実に低下していくような気がしますが・・・。
クラシック音楽の指揮者なんて、皆から嫌われて初めて一流になれるんだと思います。そのくらいの思い上がり・気概がなきゃ、人生つまんない。
今の指揮者(あるいはジャズ・ミュージシャンと言い換えてもよい)は周囲から好かれ過ぎ・・・、それでは一流の芸術はできないです。
新しいことを始めるときは、孤独になることを怖がるな!と、私は若い人に、あえてアドバイスしたいです。
私は基本的に、群れるのが好きなライオンより、孤独を愛する虎なのかもしれません(笑)。
>人はひとりじゃ生きられない
は当然ですが・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
今の世の中、確かに何から何まで「金太郎飴」ですね。反骨心、自由奔放、そういう若者は少なくなりました。
僕が使う「素直」というのは決して「従順」という意味ではないのはわかっていただいていると思いますが、あえていうなら「自分に正直に生きる」ということです。ほとんどが「多数派」に左右され、自己主張ができない中で「自分を見失わず」、ぶれない自分軸で未来を向いて動いていくことが大事だと思うのです。
手前味噌で恐縮ですが、そういう意味では僕が面倒を見てきた若者の中には良い意味での反骨心旺盛で、軸の定まった輩がわずかですがいます。そういう人たちがネットワークを張り(物理的にも精神的にも)、活動してゆくことで必ず国は変えられると信じて仕事をしているのですが。とはいえ、僕の力がまだまだ足りないようで、今年はより一層がんばらねばと思っているところです。
>皆から嫌われて初めて一流になれるんだと思います。そのくらいの思い上がり・気概がなきゃ、人生つまんない。
そうですね。ただし「自己中心的」な思い上がりはだめだと思います。あくまで「利他的精神」が根底にあり、それでもこの人に付いていきたいと思わせる「器」がないと。
昔の指揮者は、というより音楽家はいろんな意味で余裕のある人、器の大きい人が多かったんでしょうね。
金融中心の資本主義のなれの果てですかね。
>私は基本的に、群れるのが好きなライオンより、孤独を愛する虎なのかもしれません
僕もそうです!!いざという時に協力し合える仲間を作っておけば群れる必要はないですよね。やっぱりそこには「人間力」が重要です(宣伝・・・笑)。

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