シェリングのバッハ

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カラオケで発散する人もいれば、スポーツで汗を流してストレス解消する人もいる。人それぞれやり方は別にして、誰もが自分を表現したがっているんだと僕は思う。
転職は、天職でもあり、また展職でもある。そんな中、なりたい自分になろうと誰もが「自分探し」を始める。内に情熱を秘めながら厚い冷静な殻が邪魔をして人には彼の内側が読めない。クールであることがかっこいいと思われている現代社会では「ありのままの自分」、「熱い思い」を表現することはむしろ格好悪いとレッテルを貼られる。そんな「殻」を破るお手伝いってできないものか・・・、最近はそんなことをよく考えていた。
少林寺拳法など武道や格闘技の世界でも同じようなことが起こっているのだと。大きな声を張り上げれば、それに飲まれるように周りは声を荒げるようになり、結果空気が引き締まる。一方で、格下相手に本気になれば、「何をそんなに本気になっているの?」と白い目で見られる。もちろんそれは一部の人間の反応だろうが、いずれにせよ本気になることは格好悪いという風潮もあるにはあるようだ。

今、沢木耕太郎の「凍」を読んでいるが、とても面白い。こういうノンフィクションは本当に引き込まれる。昨日、写真家の関根孝さんと話をしていて、登山家の話になった。偶然にも「凍」の主人公は、最強のクライマーとの呼び声高い山野井泰史・妙子夫妻。とにかく「好きなこと、やりたいことをやって」生きている人の最右翼。彼らの奇跡の登山行と人と人との絆を描いた渾身の物語・・・。

朝から夕方までどこでどんな話をしても「本当の自分をいかに表現するか」という話題に行き着いた。もっとリラックスしてありのままの自分を素直に出せる、そんな自分にみんななりたがっている。シンクロなり。

J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ(全曲)
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)(1955録音)

ここにはヴァイオリニストその人の「色」はない。あくまでバッハの音楽がただただ鳴るのみ。ステレオでの再録音盤の峻厳なバッハとまた違い、同じ様相の中に自然で丸みを帯びた柔らかい音楽が奏でられる。やりたいように、弾きたいように弾いて、かつ内なる熱き思いが見事に表現されている傑作・・・、初めてシェリングのこの旧録音に触れたときに感じた「想い」は今にも通じる。

2 COMMENTS

雅之

おはようございます。
シェリングの経歴をみると、1933~1938年(15歳~20歳の時)に、リリの姉、ナディア・ブーランジェに師事しています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0
ナディアの主要門人一覧は、いつみても壮観です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%82%A7
「ブーランジェが指導した分野は多岐にわたっており、和声法、スコアリーディング、ピアノ奏法、対位法、楽曲分析、初見試唱(固定ドによるソルフェージュ)などである。しばしば門下生は、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの《平均律クラヴィーア曲集》を暗譜することと、しばしばバッハが行なっていたように、フーガを即興演奏できるようになることが要求された。・・・・・・」
こうした厳しい訓練、修行の積み重ねあってのシェリングの新旧名盤ですか・・・。
山登りのイロハもわきまえない中高年の登山者ほど迷惑なものはありません。
何の努力・訓練もなしに他人の道を蹂躙し、「好きなこと、やりたいことをやって生きる」「もっとリラックスしてありのままの自分を素直に出せる」権利を得ようとする風潮は、認められませんよね。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
ブーランジェ姉妹というのはすごいですね。
もう少しじっくり研究してみようと思います。
毎々ありがとうございます。
「凍」についてはお読みになってらっしゃるかもしれませんが、まだでしたらぜひ!

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