デュトワ指揮モントリオール響のオルフ「カルミナ・ブラーナ」(1996.5録音)を聴いて思ふ

シャルル・デュトワはやっぱり完全に干されてしまったのだろうか。
デュトワの音楽の魅力は、ズバリ色気である。それも、決して下世話でない、絢爛たる色合いや、洒落たセンスや、(おそらく数多くの女性と浮名を轟かせたであろう)経験に裏打ちされた、他の追随を許さない大らかさと典雅さを兼ね備えた高貴な(?)色香である。それゆえ、もはや彼の指揮を見、聴くことができないのかと想像するだけで本当に残念な気持ちになる(近年のN響との共演が常に素晴らしかったから余計に)。

土俗にまみれる(?)原始的舞踊音楽が、何と崇高な、そして美しい音楽として生まれ変わっていることか。それでいて地から湧き出る、人生を謳歌する如くの圧倒的なうねりは人後に落ちず、聴いていて実に惚れ惚れとする。

カール・オルフの世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」。
デュトワの真骨頂は、歌詞の内容を地で行く第3部「愛の誘い」。
第15番「愛神はどこもかしこも飛び廻る」での、ソプラノによる中世を思わせる愉悦的旋律に魂までもが熱くなる。何とも浮足立った音楽は、まるで指揮者の口説き文句のように響く。

若者どもや乙女たちが、
一緒に結ばれるのも当たり前、
もしも乙女に連れがなけりゃあ
何の喜びも持てないもの。
(呉茂一訳)

続く第16番「昼間も夜も、何もかもが」での、テノールの哀感。そして、第17番「少女が立っていた」において、意味深な表情で柔和な歌を披露するソプラノに感動。それにしても第18番「私の胸をめぐっては」の少年合唱の美しさ。

神さまも、神々たちも、どうかお許しを、
私が心に思い決めたこと、
あの女の処女の枷を
解き放とうという願い。
ああら、うれしや、
あら、うれしや、
私の友は
嘆きはしない。
(呉茂一訳)

・オルフ:世俗カンタータ「カルミナ・ブラーナ」
ビヴァリー・ホック(ソプラノ)
スタンフォード・オルセン(テノール)
マーク・オズワルド(バス)
F.A.C.E.少年合唱団
シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団&合唱団(1996.5録音)

デュトワは心底感じているようだ。第3部終曲「アヴェ」に内在する根源の力は、エピローグでの、プロローグ第1曲「おお、運の女神よ」の再現に引き継がれ、圧倒的迫力を放出し、1時間弱で全曲を閉じる。嗚呼、筆舌に尽くし難い官能。

おお、運の女神よ、
まるで月とそっくりに、
いつも姿態が変り易く、
しょっちゅう大きくなってみたり、
あるいは小さくなったりする。
まったく呪わしいこの人生は、
意地悪な目つきをすると思えば、
今度はまた愛想よくして見せる。
(呉茂一訳)

大自然の無常。
対する人間の心の、感情の揺れ。

かすみのかげにもえいでし
糸の柳にくらぶれば
いまは小暗き木下闇
あゝ一時の
春やいづこに

色をほこりしあさみどり
わかきむかしもありけるを
今はしげれる夏の草
あゝ一時の
春やいづこに

梅も桜もかはりはて
枝は緑の酒のごと
酔うてくづるゝ夏の夢
あゝ一時の
春やいづこに
「春やいづこに」
「島崎藤村詩集」(新潮文庫)P97

 

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