チョン・トリオのチャイコフスキー「偉大なる芸術家の思い出に」(1988.12録音)を聴いて思ふ

私見ではチャイコフスキーの最高傑作。
長大な2つの楽章が緻密に絡み、美しくも哀しい旋律に彩られ、亡き友人を追悼する。
ピアノと弦楽器は決して融け合わないと信じていた彼は、メック夫人の要望を蹴り、ピアノ三重奏曲の作曲を頑なに拒み続けていた。その組み合わせは人工的だというのだ。

しかし、チャイコフスキーは書いた。

1881年3月、ナポリのチャイコフスキーにモスクワから至急報が届いた。重病のN・ルビンシテインがニースで治療すると。ニースに急ぐが詳細はわからず、ほどなく真相をきく。3ヶ月前、体の不調を訴えるが、名医も原因がわからずニース療養を薦めた。途中たちよったパリの医師が腸結核と診断。もはや手のほどこしようもなく3月23日逝去したと。亡骸はすでにパリのロシア正教会に安置され、別人のように変わりはてていた。ヴィアルドー夫妻とツルゲーネフほかのロシア人、コロンヌ、マスネーらフランスの音楽家、そしてスペインから兄アントンもかけつけ葬儀に参列。棺はすぐ列車でモスクワへ運ばれ、ダニロフスキー修道院の墓地に埋葬された。
伊藤恵子著「作曲家◎人と作品シリーズ チャイコフスキー」(音楽之友社)P124

人の最期は本当にあっけない。
自身の芸術を擁護し、いつどんなときも助けてくれたニコライ・ルビンシテインへの友情と感謝の想い、そして追悼の辞を託し、チャイコフスキーは無心に音楽を書いた。

・チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲イ短調作品50「偉大な芸術家の思い出に」(1881-82)
・ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第1番作品8(1923)
チョン・トリオ
チョン・キョンファ(ヴィオリン)
チョン・ミョンファ(チェロ)
チョン・ミョンフン(ピアノ)(1988.12録音)

第1楽章「悲歌的楽章」冒頭の、徐に弾き出されるピアノの分散和音に乗り、チェロが美しい主題を奏でる瞬間のカタルシス。慟哭の物語の始まりは何と静けさに満ちることだろう。主題がチェロからヴァイオリンに受け継がれる際の自然な流れは、トリオが肉親同士であるがゆえなのか。不思議と演奏者を感じさせない大らかさと優しさ、何より音楽に向かう集中力が並みでない。同じく冒頭、ピアノによる可憐な主題が奏される第2楽章は、「主題と11の変奏」、そして「終曲とコーダ」の2部に分かれるが、前半はまるでルビンシテインとの数々の思い出をなぞるようで、そこには愉悦あり悲しみあり、また祈りありと、多種多様な音楽が紡がれる。天才チャイコフスキーの才能ここにあり、といわんばかりの音楽の宝石箱。それにしても後半、弾ける最終変奏での心の解放と、続くコーダでの第1楽章第1主題の回想における心の叫びの一体感(胸が張り裂けるほどの悲しみを包含する)はチョン・トリオの真骨頂。

そして、ショスタコーヴィチ17歳のときに作曲された、最初の室内楽である三重奏曲第1番での官能美もチョン・トリオならでは。音楽は、12分ほどの単一楽章だが、恋する少年らしい抒情的な美しさと、後の大作曲家となる自身の作風を髣髴とさせるアイロニーが錯綜する見事な統一体を示すのである(緩徐部分の清らかな一体感が特に素晴らしい)。

ちなみに、肺結核の静養のために赴いたクリミア半島の保養地ガスプラで生み出されたこの作品は、当地で恋に落ちたタチヤナ・グリヴェンコに捧げられている。

夏休みが終わりに近づき、グリヴェンコがモスクワへ去ったあとも、ショスタコーヴィチはしばらくガスプラに残って静養をつづけた。同時にそれは、彼女との出会いから生じた情熱を形にするためでもあった。9月11日のグリヴェンコへの手紙で、ショスタコーヴィチは、現在作曲中の作品を献呈させてほしいと頼んでいる。
千葉潤著「作曲家◎人と作品シリーズ ショスタコーヴィチ」(音楽之友社)P29

 

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