「僕の最も重要な年」とロベルト・シューマンが後に語った1834年。この年4月「ライプツィヒ音楽新報」を彼は創刊する。この新聞は、その後週刊となり、世界で初めて通信員システムを導入し、ヨーロッパ各地の音楽情報を集めて掲載するようになるのだが、そういったしくみを生み出せること自体、シューマンのビジネスマンとしての力量が只者ではないことを示してくれる。クリエイティブ能力だけでなく、プロデュース能力まで備えている芸術家というのはそれ以前ならJ.S.バッハ、以後ならワーグナーくらいのものだろうか(ワーグナーは浪費癖もひどく借金も並大抵ではなかったから真の意味でビジネスマンとはいえないけれど)。現代日本で言うなら、何年か前の「ぴあ」や今の「ぶらあぼ」などの前身、いわば雛形のようなものを当時考え出したのだからたいしたもの。ショパンやブラームスもシューマンに才能を見出され、そのことが「音楽新報」に掲載された。システムだけでなく、シューマンの審美眼、鑑識眼の高さには今更ながら恐れ入る。
ところで、1835年9月、この「音楽新報」にシューマンはベルリオーズの「幻想交響曲」への評論を掲載する。クララ・ヴィークへの恋愛感情がいよいよ高ぶりを見せ始める頃であり、一方その翌月にはショパンと初めて顔を合わせるというその頃である。シューマンの「幻想交響曲」に対しての評論は、作品の思考と感情の深い関連性については高く評価しているものの、部分的には辛い批評も与えているとのことだが、残念ながら原文を読んでいない僕には言及する資格はない。1830年に作曲され、当時の音楽家たちの間で評判になった「幻想交響曲」という音楽そのものが誇大妄想的な恋愛叙情詩(自身の失恋体験の告白)のようなものゆえ、当時のシューマンの心情とある点ではぴったり合致したのかな・・・。
ベルリオーズ:幻想交響曲作品14a(リスト編曲)
フランソワ・デュシャーブル(ピアノ)
「恋の悩みと絶望によってアヘン自殺を図った若い芸術家だが、服用した量が致死量に足らず、奇怪な夢を見る」
1830年12月5日の初演を聴いたフランツ・リストは感激し、即座にピアノ編曲を試み、1834年に発表する。リスト編の「幻想」を聴くと、当時のリストの感激度合いが手に取るようにわかる。それくらい高揚した、しかも原曲に忠実なピアノ・ソロでの再現!第4楽章「断頭台への行進」から終楽章の「サバトの夜の夢」にかけての表現はことによると管弦楽以上の威力を秘める。いや、それは言い過ぎか・・・。ともかく言葉を失うほど。素晴らしい・・・。
シューマンが聴いたのは原曲なのか、それともリストが編曲したこのピアノ版なのか、勉強不足でそのあたりのことを僕はよく知らない。オーケストラでは1832年に再演されているが、そうそう頻繁に舞台にかけられたわけではないだろうから、ピアノ版なのだろうか・・・。
間もなく「作曲家の恋物語」本番当日。プログラム作成やら当日のお話の内容を少しずつ練り込むために文献をいくつか漁りながら、1830年代のドイツやフランス周辺に想いを馳せる。何と面白い時代か・・・。
こんばんは。
>リスト編の「幻想」を聴くと、当時のリストの感激度合いが手に取るようにわかる。それくらい高揚した、しかも原曲に忠実なピアノ・ソロでの再現!
楽譜を観ながら聴くと、ますますその凄さに驚嘆しますね!!
↓
http://www.youtube.com/watch?v=yEtMEK13Cto
だけど私はオケ版原曲が好きです。
つまり、リストのこれらオケのピアノ編曲や超絶技巧曲を聴くと、ピアノという楽器が、当時の産業革命によってスチールの楽器になっていった側面が強く出ていて、それを意識して、つい仕事のことを思い出すんです、良くも悪くも(笑)。
1826年 アンリ・パープが高強度弦を使用
1830年頃 英国バーミンガムのウェブスターがスチール弦を開発
1835年 ボエームが低音弦に巻線によるスチール弦を使用
1853年 英国のウェブスターとホースフォールがパテンチングによる高炭素鋼線製造
(中略)
・・・・・・このように鋼線は真鍮線や鉄線よりはるかに高い強度が得ることが出来ますが、鉄線と鋼線では含有される炭素の量が異なり、低炭素の鉄線と高炭素鋼線では強度や製造の難易度が大違いです。現在のミュージックワイヤに近い高炭素鋼が用いられた時期は、はっきりしませんが、上述の年表から見て1820年から1830年にかけてのことではないかと思われます。特に1853年のパテンチングという熱処理法の画期的発明は、高炭素鋼を用いたピアノ線の製造を工業的に著しく容易にしました。その結果、ピアノ弦は従来の真鍮線や鉄線よりはるかに高い張力を得ることができ、この材料と熱処理の開発がピアノ本体の進化にも大きく影響を及ぼしました。・・・・・・
(中略)
・・・・・・このように高強度材料による張力アップは、フレームにかかる荷重を著しく高め、従来の木製フレームでは支えきれなくなり、何らかの補強、あるいは抜本的な対策が必要となりました。1799年にイギリスのジョセフ・スミスが、金属製の支柱で木のフレームを強化する特許を取得し、以後、フレームの金属化が始まります。そして1825年、アメリカのオルフェウス・バブコックによる単一鋳造の鋳鉄フレームの考案・特許取得に至ります。バブコックは技術者として優れていましたが、ピアノメーカーとしての経営はうまくいかず、1837年からはボストンのピアノメーカーのチッカリング社で働くようになりました。チッカリング社は1840年に鋳鉄一体フレームを採用したグランド・ピアノの特許を出願していますが、おそらくこれは彼のアイデアだったと思われます。1943年にこの特許は成立しますが、不運にも彼はこの年に亡くなっています。・・・・・・
(中略)
・・・・・・ちなみに1808年における弦の張力の総和は4.5トンでしたが、1850年頃には12トンに増大しており、高炭素鋼による弦張力の増加を鋳鉄フレームが受けとめています。現在のピアノの張力は冒頭でも述べたように20トンにも達し、フレームそのものはその1.5倍(35トン)以上の張力に耐えるよう設計されています。・・・・・・
(鈴木金属工業株式会社 ホームページより)
http://www.suzuki-metal.co.jp/story/music/05.html
※ピアノ線についてのお問い合わせ、ご用命は、鈴木金属工業株式会社もしくは下記までお申し付けください。
http://www.jfe-steel.co.jp/products/bousen/contents2/index.html
>雅之様
おはようございます。
僕は昔から管弦楽曲のピアノ編曲版に妙に惹かれるところがありまして・・・。カツァリスの弾いたベートーヴェンのシンフォニーが出た時もそうでしたが、この「幻想」の時もだいぶ驚かされました。
スチールという観点からみたピアノ線、楽器の歴史の詳細をありがとうございます。音楽の発展というのは産業の発展とまさにリンクしている点が見逃せませんよね。ここのところ、今度のコンサートに向けていろいろ確認しなきゃいけないことがあって、文献を見てると気づきが多いです。例えば、バッハがライプツィヒ時代に6曲のパルティータをまとめ、自分の作品としてはじめて1の番号をつけ出版したのは有名な話ですが、この件も、当時の産業の発展と結びついており、商才にも長けていたバッハがその点に目をつけたことも見逃せません。ライプツィヒは鉱山のおかげで活字を作る金属や整版プレートの材料に困らなかったということもあり、当時出版産業の中心になっていました。国際的な書籍の見本市もしょっちゅう開かれたいたようで、自分の作品をより多くの聴衆に知ってもらうために作品を計画的に出版しようとした、しかも愛好家が多いクラヴィーアの作品(つまり、楽譜が普及しやすいということ)にこだわった、そういう事情が背景にあることを知るだけで音楽の聴き方、捉え方が随分変わります。
本日もいろいろとご教示ありがとうございました。