戦いの終わった日。
70余年が経過するとはいえ、わずか70年前にそんな時代があったことを忘れてはならない。
一切の無駄を排したベートーヴェンの傑作。
自然讃歌を表現、いわばマクロ的拡がりを音化する一方で、人間の内面を抉る、ミクロ的世界への収斂を志向してベートーヴェンは数年もの間、自身と格闘した。その音楽の緊張度は言語を絶する。
一般には「闘争から勝利へ」などと解釈されるが、僕はいまひとつ腑に落ちない。この作品は最初から最後まで徹頭徹尾(善悪を超越する)すべてを包括する無私の音楽だ。
このとき、欧州各地は戦禍を被り、一方、米国は戦争に参入する前。
トスカニーニの胸に去来したことは想像できないが、演奏を聴く限り、あまりの熱を帯びるとはいえどこか客観的で冷静なベートーヴェンだ。指揮者の脳裏を過ったのは戦いや勝利ではなく、平和を希求する精神そのものだったのではないか。
ベートーヴェン:
・交響曲第5番ハ短調作品67(1939.2-3Live)
・交響曲第8番ヘ長調作品93(1939.4.17Live)
・劇付随音楽「エグモント」序曲作品84(1939.11.18Live)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団
完全なアインザッツに、引き締まった造形。そこから放出される只ならぬエネルギーは、時間と空間を超え、聴く者を惹きつける。
もはやこれらの有名な録音について僕が何かを云々することは憚られる。
交響曲第8番も火を噴く演奏。悟りを得たベートーヴェンがうなりをあげる。
特に、終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェの、トスカニーニの猛烈な突進は神懸かり的。
さらには、壮絶な「エグモント」序曲!!
偉大なのは作曲家であって指揮者ではないのだ!
トスカニーニのこの言葉がいかにも的を射る。虚飾を排したベートーヴェンの魂が直接に響く。
2016年8月15日。
祈りを捧げよう。
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8月は2つの原爆投下があって、日航ジャンボ機の墜落があって、
終戦の日はなぜかお盆。
「覆水盆に返らず」か・・・。
いや、“It is no use crying over spilt milk.” ですよね。
こぼれてしまったミルクについて嘆いても無駄。
「こぼれた水(ミルク)は、また注げばよいだけ。楽観的になれ」
と、トスカニーニ指揮のベートーヴェンは教えてくれます。
>雅之様
>「こぼれた水(ミルク)は、また注げばよいだけ。楽観的になれ」
いつもながら見事な連想ありがとうございます。
おっしゃる通りだと思います。