感情を超えるモノ

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先日、カール・ベーム最晩年の1979年8月7日のザルツブルクでのライヴ録音がやっぱり凄いというコメントをいただいて、しかもそれが海賊盤だろうけれどもCD-Rで発売されているということだったので早速仕入れてみた。いや、素晴らしいです。音質も悪くなく、モーツァルトの有名過ぎるこれらの交響曲を久しぶりに充分というほど堪能した・・・涙。 

齢80を超える老ベームの棒は、重心が低いながら、時に自由に飛翔し、モーツァルトの感性を超え、「音楽そのもの」がただそこに「在り」、ただそこに「鳴っている」。こういう音楽を聴かされると、昨日の、メンデルスゾーンがモーツァルト以上の才能の持ち主だったのではないかというつまらぬ比較論が馬鹿らしく思えてくる。

モーツァルトもメンデルスゾーンも天才である。もっというなら世に認知されている作曲家というものは皆天才である。凡人の僕らが格付けをする資格はないし、その意味もない。ただ、あるとするならそれを再現する演奏家の力量による演奏の良し悪しと言えるだろうが、それすら聴く者個々の「好き嫌い」という域を超えることはない。目の前の音楽に何かを感じて感動するも良し、ブーイングを浴びせるのも良し。


繰り返すが、晩年のベーム&ウィーン・フィルによるモーツァルトは素晴らしい。今となっては録音でしか確認する術はないが、普遍的なものであり、絶対的なものであると言って良い。少なくとも70年代後半に多感な思春期を送っていたであろう面々にとってはそうだと言い切れる。

モーツァルト:
・交響曲第40番ト短調K.550
・交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1979.8.7Live)

それにしても「ジュピター」交響曲のフィナーレの火を噴くような勢いはいかばかりのものか。コメントをいただいた一見益男氏の「燃え上がる喜びを抑えきれない感情がウィーン・フィルに伝わり、稀に見る生命感に溢れた名演奏」という的を射た表現がともかくぴったり。聴衆の終了後の圧倒的な拍手と歓声がそれに輪をかける。もちろん第1楽章のとっかかりから「普通」でない。もはや聴き飽きたようなシンフォニーの一音一音に釘づけになり、しかも聴き終わった後もまた聴きたいと思わせるエネルギー・・・。いや、本当に凄い。

ト短調のシンフォニーについても同様。モーツァルトが表現したかった、悲しみ、喜び・・・、そういったものが一括りにされ、一気に表出される。ザルツブルク音楽祭のこのステージの前に集合した千数百人の観客の前で、祝祭的儀式を通じて神仏に御霊を捧げようとするかのように音楽は厳粛に進められながら、最後には爆発、聴衆を感動の坩堝に巻き込む。
嗚呼、ベームの実演を聴けなかったという事実・・・、それだけが何とも悔しい。


6 COMMENTS

雅之

おはようございます。
ベーム晩年のウィーン・フィルとのザルツブルクでのライヴ、カセットテープがワカメ状態になってしまったので、もう自分だけの思い出だけに仕舞っておこうと諦めていたのですが、一見益男さんご紹介のCD-R、私も入手することにしました。久しびりのこの演奏との再会、楽しみで楽しみでワクワクします。
この時代までの多くの巨匠に共通する、セッションとライヴで燃え方がまるで違う、これはその実例の典型例ですね。
>ト短調のシンフォニーについても同様。モーツァルトが表現したかった、悲しみ、喜び・・・、そういったものが一括りにされ、一気に表出される。
まったく同感です。40番の第1楽章なども、この演奏では「普通」でなく、Molto allegroという楽譜の指示とはかけ離れていますし、枯れた味を出したいためか、あえてクラリネットの入っていない方の版を使っていたりするのですが、もう、そんなことはどうでもいいです。とにかく至高の芸術としか言いようがないです。
ベームの実演を思い起こし、サッカー・アジアカップ2011・決勝「日本×オーストラリア」をテレビ観戦して改めて感じたことは、芸術もスポーツも、ブレークスルーするには、「中庸」や「予定調和」だけでは駄目なんだということ。ザッケローニの試合後半での采配も、皆の意表を突く着想が、歴史を塗り替える起点となりました。
メンデルスゾーンも、決して中庸だけを目指した作曲家ではないと私は思います。シェーンベルクも・・・。
なお、前回の岡本さんのメンデルスゾーンが、「モーツァルトより格上なのではないか」というご意見には、たとえ彼が絵画や詩にセンスを発揮していようと賛同できません。メンデルスゾーンが現在過小評価されている大天才だという事実には同感ですが、モーツァルトより格上とまで言うと、「贔屓の引き倒し」にもなりかねません。
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンがクラシック音楽の座標軸の中心という価値観の自分軸だけは、死んでもぶれさせたくはありません(笑)。

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岡本 浩和

>雅之様
おはようございます。
このベームの実況録音盤を聴いて、日頃雅之さんがおっしゃっている「セッションとライヴで燃え方がまるで違う」ということをあらためて認識しました。何度も繰り返して聴いてしまいました(笑)。
>芸術もスポーツも、ブレークスルーするには、「中庸」や「予定調和」だけでは駄目なんだということ。
その通りですね。
>前回の岡本さんのメンデルスゾーンが、「モーツァルトより格上なのではないか」というご意見
少し言い過ぎだったかもしれません。そんなことはありえないですよね・・・(苦笑)。このベーム盤を聴いて、ベームも凄いけど、やっぱりモーツァルトの音楽は半端じゃないなと・・・。ぶれまくりです(笑)。
>バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンがクラシック音楽の座標軸の中心という価値観の自分軸
まったくもって同意いたします。

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畑山千恵子

 私は1975年、1977年、ベームを聴きに行きました。シューベルト、交響曲第7番「未完成」、第8番「グレート」、ベートーヴェン、交響曲第5番「運命」、第6番「田園」でした。どちらも大変な名演で、今でも記憶に残っています。
 アンコールはヴァーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲、ベートーヴェン「レオノーレ」序曲第3番でした。これも素晴らしいものでした。
 どちらもライヴ録音がCDになっています。チャンスがあれば、ぜひお聴きいただくことをお勧めいたします。

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岡本 浩和

>畑山千恵子様
こんにちは。
ベームの実演体験については以前も伺っておりますが、晩年の録音を聴くにつれとても羨ましい限りです。
やっぱり録音では限界がありますから・・・。

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岡本 浩和

>雅之様
おー、これは!!情報ありがとうございます。
なのですが、現在サロンにテレビを置いてなく、しかも自宅まで戻って録画をするという時間がとれず・・・、です(涙)。

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