先日、女優の大原麗子さんが亡くなった。そういえば、そういう人がいたなと思い出したのだが、すっかり忘れていた。「去るもの日々に疎し」ではないが、メディアに顔を出さなくなるとどれほどの大女優だろうと一般的には忘れられてしまうものなのだろう。
ギラン・バレー症候群という難病に冒され、長い間闘病生活を送っていたとのことだが、病気よりも独り暮らしの、結果、「孤独死」だったことの方が気になる。
我が母も筋ジストロフィーを患い数十年という年月が経過するが、(もちろん手足の自由は利かなくなって車椅子生活は余儀なくされているものの)普通に会話もでき、特に悪い箇所もなく元気に日々過ごしているのをみると、人間というもの「独りきり」になることが寿命を縮めてしまうのではないのかとも思う。身体の自由が利こうが利くまいが、誰かのために「存在しているのだ」という意思が大切なのである。そして、誰かが「いてくれるから」また自分自身も元気が漲る。やっぱり、人はお互いにエネルギーをチャージし合って生きているのだろう。大切な人の存在こそ何よりも重要なことである。
離婚の危機に陥っていた夫婦が、セミナーを機に各々自己変革を意識し、紆余曲折を経ながらも1年半が経過、結果として今は関係がうまくいくようになったのをみると感慨深い。「ワークショップZERO」では「関係性」に注力して、いかに「人間力」を強化するかをワークを通じて伝授しているが、その効果が見事に結実したようで、本当に甲斐がある。
ところで、「ギラン・バレー症候群」について調べるためにネット・サーフィンをしているうちに「インフルエンザ強制予防接種の恐怖」~田中宇の国際ニュース解説という記事に行き着いた。この症候群が、かつてアメリカ、フォード大統領のときにH1N1型豚インフルエンザのワクチンを大量に製造し、数千万人に接種、そのワクチン接種の副作用の一種として発生したものだということを知り驚愕した。世の中、知らないことだらけ(それにしても、何にでも興味を持ち、疑問を持つことって大切である)。まさに知るも地獄、知らぬも地獄ではあるが・・・。
ちなみに、大原麗子で思い出すのは、1984年の森進一との離婚会見の有名なコメント。
「仕事は私の生き甲斐。”家庭は安らぎ”と分かっていても、私は仕事に入ると何もかも忘れてしまう。結局、私も男の立場で、家庭の中に男が2人いたっていうことだったと思います」
確かに「結婚」というのは難しいもの。お互いが相手に求め過ぎれば途端にうまくいかなくなる。役割分担するというのも結局無理が生じる。双方自立し、手の空いている方が忙しい方を助けるというやり方こそが「結婚生活」をうまくやっていく秘訣なんじゃないかな。
ということで、18世紀スペインを舞台に、アルマヴィーヴァ伯爵の従者フィガロと、伯爵家の女中スザンナの結婚式当日のドタバタを主題にしたモーツァルト屈指の喜劇を。
50年以上も前の、古き良きウィーンの音色を刻印したいわずとしれた天下の名盤。これについてはもはや言葉は不要。ともかく心静かに聴きたまえ。
※本日、愛知とし子セカンド・アルバム「bathing in the moonlight」が無事発売となりました。素晴らしい出来です。ご購入はこちらから。
おはようございます。
今朝、駿河湾を震源とする大きな地震がありましたね。台風とともに被害がとても心配です。
私は静岡市に住んだことがあるので少し詳しいのですが、仮に今回の地震が活断層によるものではなく、プレート境界付近で起きた「東海地震」タイプだとすると、「南海地震」や「東南海地震」への連鎖も懸念されます。
本日の岡本さんのブログ本文のテーマにも関連しますが、我々現代人は、あなたも私も大自然の一部分で、太陽エネルギー等によって生じた有機化合物などの物質のひとつに過ぎないことを忘れてはいけませんね。人間の体の約70%は水ですし・・・。どんなに科学が発達しても、自然の脅威の前では全く無力です。
歌劇「フィガロの結婚」に描かれているような平和な日常が、いかに貴重で感謝すべきものか、今朝はそのことが取分け身に沁みます。
>古き良きウィーンの音色を刻印したいわずとしれた天下の名盤
同感です。「歴史の不可逆性」という言葉を思い出しました。こういう昔のウィーンでの演奏の味わい深さは、今後二度と再現不可能でしょう。
>雅之様
おはようございます。
今朝の地震も例によって飛び起きました(笑)。
>「東海地震」タイプだとすると、「南海地震」や「東南海地震」への連鎖も懸念されます。
なるほど。僕は地震には詳しくないので、わからないですが、そうだとすると怖いですね。
>あなたも私も大自然の一部分で、太陽エネルギー等によって生じた有機化合物などの物質のひとつに過ぎないことを忘れてはいけませんね。
おっしゃるとおりです。人間は有史以来「好き勝手に思うがまま」に生きてきました。今こそ謙虚に自然と一つにもどれという警告のようにも思います。意識を高く持ちたいですね。
>「歴史の不可逆性」という言葉を思い出しました。
同感です。