リヒテル ベートーヴェン「テンペスト」&シューマン幻想曲(1961.8録音)を聴いて思ふ

意図せず、僕はスヴャトスラフ・リヒテルを遠ざけてきた。
残念ながら、実演に触れるチャンスは幾度もあったのに、そんな姿勢だから当然すべて逸した。たぶん、音盤をどれほど緻密に聴いたとしても、彼の神髄はわかり得ないことと思う。

旧ソヴィエト連邦の音楽家には、独特の暗鬱な表情というか、抑圧されたものが一気に解放されるときにも、どこか無表情な、感情を殺した、言葉にならないもどかしさがついて離れない。ただし、それこそが彼らの音楽の本懐なのである。西側の演奏家の誰にも真似のできない空気感。何だか魔法にかかるようだ。

「・・・あなたがただ婆さんを殺しただけなのは、まだいいんですよ。もしあなたが、ほかの理論を考えだしたら、それこそ十億倍も醜悪なことをしでかされたかもしれない!もしかすると、まだ神に感謝する必要がるよ。神は何かのためにあなたを保護してるんだかも知れないけれど、それはあなたにだってわかりゃしませんかもしませんからねえ。あなたは大きな心を持って、もう少し大胆におなりなさい。眼前に立っている偉大なる実行を、あなたは恐れているんですか?いや、この期にのぞんでそれを恐れるのは恥辱ですよ。一旦ああした一歩を踏みだした以上、あくまでしっかりしなくちゃいけませんよ。それはもう正義です。さあ、正義の要求するところを実行なさい。あなたが信じられなくていらっしゃることは、わたしも十分承知している、しかし大丈夫、生命が堪えてくれます。しまいには、自分でもこれが愉快になりますよ。あなたには、今はただ空気が足りないんだ、空気が、空気が!」
ラスコーリニコフはおぼえずふるえあがった。
「あなたは一体何者なんです!」と、彼は叫んだ。「あなたは予言者ででもあるんですか?いったいどこから割りだして、えらそうにおちつきすまして、僕にそんな利口ぶった予言をなさるんです?」

ドストエーフスキイ作/中村白葉訳「罪と罰」第3巻(岩波文庫)P193-194

「空気が足りない」というドストエフスキーの言葉は当意即妙。
精神が混乱状態になるほど、過呼吸に陥るほどの圧迫感なのか。かつて僕は、たぶんリヒテルの演奏にそういうものを漠と感じていたのだろう、それゆえに無意識に多くを避けていたのである。

壮年期の、アビーロード・スタジオでの、ベートーヴェンの「テンペスト」を聴いて思った。
すべては勘違いであったのだということを。
遠く過去にまで遡り、また遠く未来にまで届かんとする思念と呼吸。第2楽章アダージョに耳を澄ませ給え、また、終楽章アレグレットを傾聴し給え。

・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31-2「テンペスト」(1961.8録音)
・シューマン:幻想曲ハ長調作品17(1961.8.1-3&5録音)
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)

そして、一層輝かしいシューマンの幻想曲!
豪快な強音よりも囁くような弱音こそリヒテルの真骨頂だと思うが、何より第3楽章の憂える暗黒の表情に、むしろ先々への先見を僕は感じる。

人間の良心に潜む神性に対しては、頭脳から抽出された理論がいかに無力であるか。

岩波文庫版「罪と罰」の帯に記されたこの言葉こそ、まさにリヒテルの演奏に通じるものではないか。決して理論でない、あくまで良心からの湧出による音の葉。

人気ブログランキング


5 COMMENTS

ナカタ ヒロコ

このCDを聴いてみました。ずっと以前、リヒテルのリサイタルを聴きました。プログラムは忘れましたが、アンコールのドビュッシー「月の光」だけが記憶に残っています。川面に漂う靄が月の光に照らされて天に昇っていく様を目の前に見るような、不思議な体験でした。その後、リヒテルの演奏はあまり聴くことなく今まできたのですが、この「テンペスト」を聴いて、あの時の音を思い出しました。音は柔らかいけど、強弱、速緩のメリハリがはっきりしていて、とても意志的な演奏のように感じました。「展覧会の絵」のサムエル・ゴールデンベルクとシュムイレの会話のような1楽章、どうしたらこんなに柔らかな音で軽やかに弾けるのかと不思議な3楽章。リヒテルのベートーヴェンをもっと聴きたくなりました。
 ところでこのたび、「テンペスト」は、演奏者によって感じがいろいろに変わる曲なのでは?と思いました。ルバートの幅が大きいからでしょうか? リヒテルの演奏を再び聴く機会を、ありがとうございました。
 

返信する
岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

リヒテルもやはり実演に触れないとその真価はわからないピアニストだと思います。残念ながら僕は聴く機会がありませんでした。なんと、ナカタ様は聴かれているんですね!もう本当に羨ましいです。プログラムを忘れられているのはもったいない限りですが(笑)、羨ましくて仕方ありません・・・。

「テンペスト」についてですが、「テンペスト」に限らずベートーヴェンの作品は結構解釈の幅が広いように思いますが。明確な答ができずすいません。

返信する
ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 プログラム忘却のこと本当に迂闊で、本当にクラシック音楽が好きなんだろうか、と自問してしまいます。リヒテルを聴いた、ということが大切だっただけなのかも。俗物です。情けないです。でも、うらやましがってくださり、ありがとうございます。

返信する
岡本 浩和

>ナカタ ヒロコ 様

いかにリヒテルとはいえ、すべての曲が自分の感性に響くとは限りませんので、忘れるのはよくあることです。僕に言わせれば「リヒテルが聴けたこと」が重要です。そう考えると、すべては一期一会、これはというコンサートやリサイタルは逃さないよう、できるだけ足を運ぼうと思います。

返信する
ナカタ ヒロコ

岡本 浩和 様

 力強いコメントをありがとうございます。私にとっては慰めと励ましになりました。「すべては一期一会」の気持ちで、「傾聴」の姿勢を心がけていきたいと思います。ありがとうございました。

返信する

ナカタ ヒロコ へ返信するコメントをキャンセル

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む