アルゲリッチ フムラ指揮スイス・イタリア語放送管 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第2番(2009.6.19Live)ほか

ベートーヴェンは年金受給の主旨としてつねに「大作品(größere Werke)」を書くということを挙げ、“趣意書”においても「他の雑事に惑わされることなく」「それらに専念する」との文言がある。つまり「パンのための仕事」をせずとも大作に取り組める環境の確保ということであるが、現実にはこの年金契約はそこまでの経済的余裕をベートーヴェンに確保させることはなかった。その原因は、契約が、目前に迫ったベートーヴェンのヴィーン脱出という事態に対処して急に締結されたため、その直後に起きるナポレオンの第2次ヴィーン占領によってオーストリア経済が破綻して、「現今のインフレにあって年4000グルデンを下回らない額」といってもそれではとても賄い切れなかったことにある。
大崎滋生著「ベートーヴェン像再構築2」(春秋社)P732

希望のベートーヴェン。
ピアニスト作曲家として立つ決意の中にある渾身のピアノ協奏曲変ロ長調。

第2番の改訂稿(第3稿)の初演は(1795年)12月18日に宮廷小舞踏会場で催されたハイドンの帰国記念コンサートにおいてであったと見られる。このとき、ロンドン・シンフォニー最後の3曲がハイドン自身の指揮によってヴィーンの公衆の前に初めて登場し、そしてベートーヴェンが賛助出演をし、師に華を添えたのである。
~同上書P399

4度もの改訂を経て、ようやく1798年10月にプラハで初演された第2番の完成稿は、第1楽章アレグロ・コン・ブリオから新緑芽吹くような若々しさに満ち、また、作曲家としてのベートーヴェンの自信をのぞかせる佳作である。こういう音楽は、マルタ・アルゲリッチの手にかかったら、右に出る者はいない。

最美の第2楽章アダージョ。マルタのピアノは時に沈思し、静けさの中で自省し、瞑想する。そのときの祈りのエネルギーは他を冠絶するだろう。そして、勢い新た、終楽章ロンド,モルト・アレグロこそマルタ・アルゲリッチの真骨頂。楽章が進むごとに野放図に拡がる、感情をむき出しのままの(ウィーンでの出世を目論んだ?)、ひたすら音を楽しむ宇宙的規模の作品よ。青年ベートーヴェンの傑作が、何と自由に飛翔することか!

・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
ガブリエル・フムラ指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団(2009.6.19Live)
・リスト:ピアノ協奏曲第1番変ホ長調
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
イオン・マリン指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団(2004.6.17Live)
・バルトーク:ピアノ協奏曲第3番Sz119
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
アレクサンダー・ヴェデルニコフ指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団(2007.6.23Live)
・モーツァルト:アンダンテと5つの変奏曲ハ長調K.501
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
酒井茜(ピアノ)(2006.6.1Live)

ルガーノ・フェスティヴァルからの実況録音。
バルトークの完成された最後の作品となるピアノ協奏曲第3番がことのほか美しい。

先日、委嘱(作曲)が舞い込んだと書いた。委嘱の一つは断ろうと思う。委嘱者が無名で当てにならんのだ。その一方で、母さんのためにピアノ協奏曲を書きたい。この計画はだいぶ前から宙に浮いている。母さんがこの曲を3~4回演奏すれば、委嘱を断った分くらいのお金は稼げるだろう。
(1945年2月21日付、息子ペーテル宛)
ペーテル・バルトーク著/村上泰裕訳「父・バルトーク―息子による大作曲家の思い出」(スタイルノート)P417

時代は(国も)変われど、どんな天才も「食べるために」必死だったということがわかる。ベートーヴェンにせよ、バルトークにせよ、彼らが驚異的な創作力で多くの作品を残してくれたお陰で僕たちは癒されるのだ。第2楽章アダージョ・レリジオーソの敬虔な音調に、死を目前にしたバルトークの祈りの念が聴こえる。ここでのアルゲリッチの演奏は、ある種静かな慟哭だ。

1年後に書かれた《ピアノ協奏曲第3番》の第2楽章は、静かにゆっくりと始まる。それは夜かもしれない。だが、中間部で何かが動き始め、突然アッシュヴィルの鳥たちが現れる。鳴き声が聞こえ(58小節目から)、霧が晴れ、世界が新しい命に目覚めるような牧歌的な朝が感じられるだろう。
~同上書P234

バルトークもベートーヴェンと同じく大自然を愛した天才だ。
マルタ・アルゲリッチのピアノがあまりに美しい。

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5 COMMENTS

桜成 裕子

おじゃまします。 初めてアルゲリッチの演奏を聴きました。 ベートーヴェンの、モーツアルトの面影が感じられるピアノ協奏曲第2番のアルゲリッチの演奏は、音の深さや強靭さ、弱音の美しさ、繊細さなどが感じられ、とてもいいですね。アルゲリッチは1番と2番のコンチェルトは何回か演奏・録音しているようですが、3番からあとはないのですか?パートナーだったコワセヴィッチから4番を弾くようにアドバイスされたそうですが、しなかったのでしょうか。曲があまり好きではなかったのでしょうか。アルゲリッチ自身が、自分にはシューマンが一番ピッタリくる、と言っているのをテレビで見た覚えがありますが・・・  あやふやな疑問ばかりですみません。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

こんばんは。
アルゲリッチは、アバドと第3番をライヴ録音しています。
https://classic.opus-3.net/blog/?p=19745

第3番ですら「私には向かない」と長年拒否していたくらいですから、第4番以降については言わずもがなですね。ちなみに、20年ほど前、確かすみだトリフォニーだったかのコンサートで第5番「皇帝」がプログラムに組み込まれ、「これは聴き逃してはならぬ」と早速チケットを押さえ、楽しみにしていたところ、直前にモーツァルトの第20番K.466に変更になり、がっかりしたことを記憶しております。K.466も超名演奏だったのですが、やっぱり「皇帝」が聴きたかったと思いました。
ただし、そのプログラムが発表された時も「本当かな?」と頭に過ったほどで、彼女も挑戦しようとしたけれど、納得のいく演奏ができなかったのかもしれません。たぶん今後もないでしょうかね。

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

 ご紹介くださったアルゲリッチのベートーヴェンのピアノ協奏曲3番を聴いてみました。アルゲリッチが自分に向いた曲ではないと昔から言っていて、ピアノで弾いてみても外国語で話してるみたいでしっくりこない、と感じる曲なのに、この流麗さはどうでしょう。この曲の2楽章の可憐さ、切なさは他に類を見ないと改めて思いました。アルゲリッチの音色は時に深くて、ラフマニノフを聴いているような錯覚がありました。また、この曲にいつも感じる悲壮感、英雄的な雰囲気があまり感じられないような気がしました。それがアルゲリッチをして苦手だと思わせる要素なのでしょうか。その悲壮感、英雄感のなさはオーケストラにも共通していて、岡本様が指摘しておられた、アバドの大病を克服した後の透明感のなせる業かもしれないのでしょうか。
 ポゴレリッチもアバドとチャイコフスキーやショパンの協奏曲を協演していますが、カラヤンと予定していたがポゴレリッチと考えが合わなかったと読んだことがあります。カラヤンとアバドの違いは何でしょうか?ご示唆いただければ幸いです。

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岡本 浩和

>桜成 裕子 様

カラヤンとアバドの違いというのはなかなかハードルが高いですね。(笑)
ポゴレリッチに聴かないとわからないことだとは思いますが、僕なりの独断の推測を書かせていただきます。
以下、ヘルベルト・ハフナー著/市原和子訳「ベルリン・フィル―あるオーケストラの自伝」(春秋社)から抜粋します。

アバドの権威は、まさに音楽を作りあげる場で発揮されます。彼には、共に演奏するオーケストラの心理について、自然な勘が働くのです。プレッシャーをかけたり、急がせたりすることなく、オーケストラを成長させていくのです。強いるようなことはせず、まるでそれを初めて聴くかのように、一緒に作品に近づいていくことができる。楽団員一人ひとりの責任感や信念から、全員をまとめる集中力が生まれます。(・・・)アバドは、変に聞こえるかもしれませんが、音楽における小休符の名人です。小休符は、満たされ、緊迫し、広がり、充電される時間であるべきです。意識して作られた静寂なしには、音楽は生きてこないのです。

カラヤンやチェリビダッケは、稽古場で、楽団員を納得させる指揮者だった。それとは違い、アバドは、リハーサル指揮者でなく、演奏会指揮者であり、その点でフルトヴェングラーに近い。
P356-357

こういうエピソードの中に何らかの示唆があるように思います。
カラヤンは独裁者であり、アバドはあくまでオーケストラとの協調を主眼に置いたと考えると、共演者とも同様のスタイルを貫いたのではないかと思われるのです。

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桜成 裕子

岡本 浩和 様

 まさに納得の資料とご見解です。ありがとうございました。だからこそポゴレリッチも機嫌よく共演できたのでしょう。
ご紹介の本はベルリン・フィルと共演した指揮者との相性や対峙の仕方などについての本でしょうか。面白そうですね。読んでみたいと思います。唐突で不躾な質問に丁寧にお応えくださり、ありがとうございました。

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