ヒリヤード・アンサンブル オケゲム レクイエムほか(1984.1録音)を聴いて思ふ

人は無限の中に消えていった魂に向かって呼びかけ、谺に耳を澄ます。それが音楽の形をとる中で、レクイエムは際立った存在である。
井上太郎著「レクイエムの歴史—死と音楽との対話」(平凡社)P13

人が死を怖れるのは、死後の世界を誰も見たことがないからだろう。
しかし、それは怖れるものではないように僕は思う。魂は決して消えゆくものではないだろうから。心洗われる、精妙なるヨハンネス・オケゲムのレクイエム。演奏はヒリヤード・アンサンブル。人間技とはとても思えない聖なる音。

遠く古を想う。
喪った記憶が徐々に取り戻されるかのように、脳裏を過る原風景は実にリアルだ。人間の声の拡がりの神秘。時間と空間を超え、和声の中に、世界の調和を見る。

フランドル出身のヨハンネス・オケゲム(1410頃-97)はデュファイに続く巨匠だが、若い時代のことについてはほとんどわかっていない。記録に現れるのはようやく1443年で、アントウェルペンのノートル=ダム大聖堂の歌手としてである。それから数年後、ブルボン公シャルル一世の宮廷礼拝堂聖歌隊の一員としての記録がある。1450年頃にはフランス王シャルル七世の王室礼拝堂聖歌隊の一員となり、その長としての重責を担った。
シャルル七世の死後は、その後を継いだ息子のルイ十一世、さらにその息子のシャルル八世と三代の王に仕え、1497年にトゥールで長い生涯を閉じた。彼は長いことトゥールのサン=マルタン修道院の財務官だったのである。

~同上書P62

オケゲムはあくまで現実に生きた人だ。ただひたすら音楽を愛し、そして王に心から仕えた人だ。そこにはおそらく信頼があり、また(現代を生きる僕たちには信じ難いほどの)信仰が当然のようにあった。

オケゲム:
・レクイエム(死者のためのミサ曲)
・ミサ「プレスク・トランジ」(ミサ「ミ・ミ」)
デイヴィッド・ジェイムズ(カウンターテナー)
マイケル・チャンス(カウンターテナー)
ポール・エリオット(テノール)
ロジャーズ・カーヴィ=クランプ(テノール)
リー・ニクソン(テノール)
ジョン・ポッター(テノール)
マイケル・ジョージ(バス)
ヂヴィッド・ベヴァン(バス)
ポール・ヒリアー(バリトン)
ポール・ヒリアー指揮ザ・ヒリヤード・アンサンブル(1984.1.17-19録音)

息長く、清澄にして崇高。サンクトゥス、アニュス・デイ、コンムニオ、ポストコンムニオの4曲はグレゴリオ聖歌による。

いかに生き、いかに死すべきかを決する場面では、多くの人々は聖書や、バガヴァッド・ギーターや、クルアーン(コーラン)などの聖典をひもとき、そこに記された物語や格言から何がしかの霊感や妙想を得ている。たとえ、そこに記された真理をどうすれば証明できるのか(あるいは、真理であるか否かをどうすれば判定できるのか)、皆目見当がつかなくても。「空の空なるかな、すべて空なり」、「おのれを愛するごとく、汝の隣人を愛せよ」、「神は自ら助くる者を助く」などの章句が、その例である。今日ではこうした概念は「知恵」と称されているが、古代の人々はそもそも、道徳や宗教や哲学に関する知識と、宇宙全般に関する知識を識別しようなどとは思ってもいなかっただろう。
リチャード・E.ルーベンスタイン著/小沢千重子訳「中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ」(紀伊國屋書店)P19

音楽こそ現代人が進行を取り戻すための起爆剤になり得よう。
中でもルネサンス期の音楽!!

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