ラローチャ アルベニス 組曲「イベリア」(1962録音)ほか

再びエンニオ・モリコーネの言葉を引く。

音楽という言語は、その他の言語同様、多くの変化を経験し、人間とともに進化したり退化したりしてきた。だけど誤解しないでほしい。わたしは音楽のことを“普遍的な言語”と考えているわけじゃないんだ。コミュニケーションというのは複雑で多様な基準に則るものだから、その多くは文化的なものだ。つまり、ある特定の地域や時代に特定されてしまう。これは、言語一般にも言えることだね。言語というのは、時代や国によって異なるものだからね。
エンニオ・モリコーネ/アレッサンドロ・デ・ローザ著 石田聖子/岡部源蔵訳 小沼純一解説「あの音を求めて モリコーネ、音楽・映画・人生を語る」(フィルムアート社)P244

音楽も真理とは言い難い。少なくとも譜面を介して奏される音楽は言語同様、時間と空間によって左右されるものだ。さらにモリコーネは言う。

わたしはそれを制約と呼ぶ。そのなかには自覚的なものもあれば無自覚的なものもある。音楽的な制約、音楽外の制約、内的・外的な制約がある。これらの制約が個を形成し、ある特定のコンテクストのなかで生きることになる。
~同上書P244

人為とはそもそも有限の中の方法であり、その中で最善を尽くし、最良のものを生み出そうと誰もが自らと闘ってきたのである。誰もが正しく、そして誰もがまた正しくないということだ。

音楽の享受者としての経験に話を戻すと、誰も音楽の聴き方を教えてもらう教育を受けていないよね。とくに問題だと思うのは学校教育だ。音楽教育の観点からだけでなく、学校というもののあり方を根本的に見直す必要があるのではと思うよ。
~同上書P245

モリコーネの意見は正しいと思う。しかし、あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たずというのが相対世界の常。すべては本人次第であり、すべてが自分から発せられているのだということを知ることが重要なのである。音楽もただ自分がどう感じるのか、それがすべてだ。

アリシア・デ・ラローチャの弾くアルベニスを久しぶりに聴いた。彼女の十八番であり、確かにスペイン色濃厚な名演奏だ。しかし、この音楽がスペイン人以外にも通用しないのかといえば非。明らかに外国人にもそれとわかるスペイン的な音色であり、またリズムであるからだ。センスを磨くことは大切だが、一方で知識を、それも体感的な知識を増やすことも重要だ。かつて30余年前に一度だけ訪れたスペインという土地の記憶が、彼女の弾くピアノの音によってまざまざと蘇る。音楽は見事に記憶と結びついていることがそのことで明らか。何と情熱的でまた繊細な音楽、演奏なのだろう。

アルベニス:
・組曲「イベリア」(1907-08)(1962録音)
・ナヴァーラ(セヴラック補筆完成版)(1962録音)
・組曲「エスパーニャ」第1集作品47(1882-89)(1959録音)
 第1曲 グラナダ
 第2曲 カタルーニャ
 第3曲 セヴィリア
 第4曲 カディス
 第6曲 アラゴン
・パヴァーヌ=カプリース作品12(1884)(1959録音)
・エスパーニャ作品165第2曲タンゴ(1890)(1959録音)
・旅の思い出作品71(1886-87)(1959録音)
 第6曲 入江のざわめき(マラゲーニャ)
 第5曲 プレルタ・ディ・ティエラ(ボレロ)
アリシア・デ・ラローチャ(ピアノ)

世界の、情景の描写といえど作曲家の主観であるその作品群は、その場を訪れたことのない者にも鮮烈な感動の憧憬を与えてくれる。そのことを体感させられたのがラローチャが50年代から60年代にかけて録音したアルベニスの作品集だった。中でも組曲「イベリア」は僕の宝物。文字通り聴き手とコミュニケーションをとるように囁きあれば叫びもある屈指の名演奏。モリコーネの言う「制約」の中でこれほどに普遍的な、人々を感化する演奏、録音があろうか。
アリシア・デ・ラローチャ100回目の生誕日に。

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