ザンデルリンク指揮フィルハーモニア管 ベートーヴェン 交響曲第7番ほか(1981.1録音)

ベートーヴェンの音楽は常に新たな感動をもたらしてくれる。
もう幾度も聴いているはずなのに、クルト・ザンデルリンクがフィルハーモニア管弦楽団と録音した全集から第7番をあらためて耳にして、第1楽章序奏ポコ・ソステヌートから、その微動だにしないテンポの設定と、いかにも楽聖の精神を称揚する内容に僕は痺れた(主部ヴィヴァーチェになっても相変わらずインテンポを遵守する堂々たるもの)。
リヒャルト・ワーグナーをして「舞踏の聖化」といわしめたこの清らかな作品が、ザンデルリンクの確信を持った棒によって実に革新的な音楽として眼前に現れたとき、世界は猛烈なスピードで変転する。否、世界そのものが変わるのではなく、僕たちの意識が変わり、見ている世界が変わるのだ。

エンニオ・モリコーネはモーツァルトについてこう語る。

モーツァルトの音楽が作曲され、演奏され、広められた対象と文脈は明らかで、それは貴族やブルジョア階級にとっての儀式としてです。しかし、モーツァルトはこの表面的な“安定性”のなかに自分の表現の場を見出し、水のようになめらかに耳を流れるがそれでいて楽譜を見るとそれほどわかりやすいものではない、音楽による優しい複雑性を実現しています。
エンニオ・モリコーネ/アレッサンドロ・デ・ローザ著 石田聖子/岡部源蔵訳 小沼純一解説「あの音を求めて モリコーネ、音楽・映画・人生を語る」(フィルムアート社)P255

また、ベートーヴェンについては次のように言うのだ。

一方フランス革命が起きたとき、ベートーヴェンは(自分を含めた)人間と歴史の関係について、「人間が歴史を定義するのか、それとも歴史が人間を支配するのか?」という疑問を投げかけていました。生涯にわたり、発明と想像に満ちた磁性流体のなかで不断の変化に導かれ、ソナタ(やそれ以外)の形式を解体してきたベートーヴェンにとって、その疑問に対する答えはないままで、彼自身もまた、常にそれを信じる、信じないというジレンマを抱えていました。自分自身が自分の歴史や運命を作るのか、それとも運命と歴史が自分のアイデンティティを形作るのか?
~同上書P255

おそらくいずれもが正しいだろう。ただし、それはこの仮の心身を本体と「誤解」した場合に限る。真我に至ってはそもそもアイデンティティとは全体に共有されるものであるから。
そして、モリコーネはワーグナーについてはこう言う。

ワーグナーは人間の無意識、そしてそこにある衝動をさらけ出す音楽と演劇としての言語を作りました。そこでは不合理が流動的で変わりやすいものであるのと同様に、和声の機能はほとんど曖昧さを表現するためだけに使われています。個の従属のみならず感情や衝動も表すようにみえる半音階を使ったメロディ、つまり半音の反復によってワーグナーは、垂直に連なる和声を破壊し、社会契約であり合理性であり意識的なものと考えられる和声に置き換えています。先ほど話した和声の機能性は、ここにあるともないとも言える。ワーグナーの総合芸術(Gesamtkunstwerk)は、現実は単一でなく観点によって異なるという、ドストエフスキーの多声的な小説と共通点がある。そしてそのあいだ、ヨーロッパではフロイトの精神分析、そして後にアインシュタインの相対性理論が登場する。
~同上書P256

ベートーヴェンからワーグナーに至る金線こそに(少なくとも音楽史上の)あらゆる問題を解決に導く糸口がありそうだ。それにしてもベートーヴェンの「第九」に触発され、それが舞台綜合芸術として開花したワーグナー芸術が「ドストエフスキーの多声的な小説と共通点がある」というモリコーネの指摘に僕は膝を打った。

ベートーヴェン:
・交響曲第7番イ長調作品92
・交響曲第8番ヘ長調作品93
クルト・ザンデルリンク指揮フィルハーモニア管弦楽団(1981.1.8-10&12-17録音)

あくまで古典の枠をはみ出さない、しかし浪漫の衣装を纏った渾身の表現に手に汗握る。かつて僕たちは朝比奈隆という稀代のベートーヴェン指揮者の壮大な実演を幾度も聴かせてもらったが、それらに優るとも劣らぬ演奏に言葉がない。
かつてワーグナーが記した言葉を思う。

私は神を信ずる。又モーツァルトとベートーベンを信ずる。同様に彼等の弟子達と使徒達を信ずる。私は聖霊を信じ、ある分裂せしめ得ざる芸術の真理を信ずる。
リヒャルトワグナー/蘆谷瑞世訳「ベートーベン―第九交響曲とドイツ音楽の精神」(北宋社)P160

天才の音楽には確かに聖霊が宿る。そして、そこには間違いなく真理が存在する。

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