ジョーンズ シュヴァルツ コロ モル バーンスタイン指揮ウィーン・フィル ベートーヴェン 交響曲第9番(1979.9Live)

この奇跡のごとき人が、みずから味わった苦悩と憧憬と歓喜のすべてを前代未聞の芸術作品へと結実させたのが、第九交響曲なのだ!
(リヒャルト・ワーグナー)
ワーグナー/三光長治監訳/池上純一・松原良輔・山崎太郎訳「ベートーヴェン」(法政大学出版局)P6

ワーグナーが絶賛し、自身の綜合芸術へと昇華させるきっかけとなったのが、ベートーヴェンの第九衝撃体験だった。彼は、当時いまだ一般には知られていなかったこの傑作を正しく演奏することに注力した。

思えば当時の私は、それまで積み重ねた数多くの体験に、はっきりとは意識せぬまま駆り立てられるようにして、みずからの天運と使命について、真剣に思いをめぐらせたり、ほとんど捨てばちになって自問したりせずにはいられなかった。声に出して言うだけの勇気はなかったのだが、私は自分が芸術家としても、市民としても完全に根なし草の存在であることを自覚し、実生活にも職業生活にも溶け込めない自分には、将来の展望などまったくないと認めざるをえなかったのだ。第九交響曲を前にして、友人たちに悟られまいとしていた絶望は、青空に突き抜けるような熱狂に転じた。ひとりの師の作品が弟子の心を、この曲の第一楽章が私の心をとらえたときのような荒々しい恍惚感で満たしたことがあっただろうか。
~同上書P37

不遇な(?)生活に一条の光が差した瞬間の彩は、ワーグナーの心中に文字通り熱狂をもたらした。大いなる第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ,ウン・ポコ・マエストーソこそベートーヴェンの創出した傑作中の傑作なんだと僕は思う。

初めて聴いたときはもっと雄大な、もっと集中力の高い演奏だと思っていたのだけれど、今あらためて聴いてみると意外にスケールは小さい。ベートーヴェンの聖なる壮大な思想を音化した作品にしては、どうにも終楽章の合唱が俗っぽく、そのことがあからさまに感じられる演奏であったことに少々の失望すら覚えるくらいだ。しかし、この第1楽章には沸々と燃えたぎる生命がある。そして、続く第2楽章モルト・ヴィヴァーチェの内なる熱狂にも弾力がある。

・ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」
グィネス・ジョーンズ(ソプラノ)
ハンナ・シュヴァルツ(コントラルト)
ルネ・コロ(テノール)
クルト・モル(バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団(ノルベルト・バラチュ合唱指揮)
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1979.9Live)

ウィーン国立歌劇場でのライヴ録音。
70年代のバーンスタインはいまだ血気盛んで、音楽も一層軽快。特に第1楽章はこの演奏の中で最大の聴きどころ。

ジョナサン・コットとの最後の対話が面白い。

禅の師匠、鈴木俊隆は、かつてこう書いています。「心が空っぽならば、すべてに心は開かれている。初心者の心にはたくさんの可能性があるが、専門家の心には可能性がほとんどない」。

僕は初心者・・・ずっとそうだ。

初心者のままでいるには、どうしているのですか?

死なないことだ。

「生まれつつあることに忙しくない者は忙しく死んでいく」とボブ・ディランは言っています。

良い歌詞だね。ベートーヴェンはどうしていつもすべてを切り裂き、帳消しにしていたと思う? 彼はいつも最初から始めていたから、いつもよりよいものができた。
ジョナサン・コット著/山田治生訳「レナード・バーンスタイン ザ・ラスト・ロング・インタビュー」(アルファベータ)P134-135

(ある意味)衝撃的であり、また感動的な内容だ。
バーンスタインはベートーヴェンがよくわかっていたのだと思う。

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