ホッター ローレンツ ブラウン クナッパーツブッシュ指揮ウィーン国立歌劇場管 ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」(抜粋)(1942.11.10Live)

VENIASのセットから第二次世界大戦中の貴重な記録。
ラジオ放送からのエアチェックなのかどうなのか、わずかな混信が随所に見られる。
時はスターリングラード攻防戦の最中。
いよいよドイツ軍が包囲され、敗北に向かって進まざるを得なくなるその頃である。

欧州の危機迫る中、ウィーン国立歌劇場ではワーグナーの舞台神聖祭典劇「パルジファル」が上演された。指揮は、ハンス・クナッパーツブッシュ。
相変わらずの悠揚たるテンポで描かれる、崇高な音楽劇に心が動く。
(抜粋だが、重要なシーンばかりが収録されており、感無量)

・ワーグナー:舞台神聖祭典劇「パルジファル」(抜粋)
ハンス・ホッター(アムフォルタス、バスバリトン)
マックス・ローレンツ(パルジファル、テノール)
ヘレナ・ブラウン(クンドリ、ソプラノ)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(1942.11.10Live)

どんなに古い録音でも、クナッパーツブッシュの「パルジファル」であることが明らかだ。
(混信すらまた貴重な歴史的アーカイヴであることを示す)
何よりホッター、ローレンツ、そしてブラウンの歌唱を聴けることが嬉しい。
(特にハンス・ホッターのアムフォルタスの威厳!!)

第1幕から。
合唱による「愛餐の動機」が響くとき、ワーグナーの深層にある「ヨハネ福音書」からの一節「私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい」が交錯する。「パルジファル」の根底にある大いなるメッセージがここからくみ取れるのだ。

高みからの声:
「わが肉を取れ
わが血を受けよ
われらが愛ゆえに」

日本ワーグナー協会監修/三宅幸夫・池上純一編訳「パルジファル」(白水社)P41

そして、パルジファルの目覚めの予兆が示される第2幕からの抜粋が何と魅力的なことか。
(クンドリの口づけ!)

また、第2幕から。

パルジファル:
(突然、激しい恐怖に駆られて跳ね起きる。その動きから、パルジファルの身に凄まじい変化が起こったことがうかがえる。身を裂くような痛みを鎮めようとして、両手で必死に胸を押さえているが、こらえきれずに叫ぶ)

アムフォルタス!—
あの傷、あの傷だ!
あの傷が、この胸の中で燃えている。
ああ、嘆きだ、嘆きだ!
恐ろしいばかりの嘆きの声だ!

~同上書P71

クンドリの口づけによって、パルジファルは一挙に欲望と罪と救済の連環に開眼し、いよいよ悟りの境地に入らんとする(なんと力ある、純粋無垢な音楽が立ち上がることか)。
訳者の見解では「欲望と罪と救済の連環に開眼」とするが、とても納得。これぞ聖俗合一、真と仮の一致を示すリヒャルト・ワーグナー最晩年の「再生論」に至る重要なシーンだと思う。

同じく第2幕。

救済者よ! 救い主よ! 慈しみの主よ!
この罪びとは、おのが罪をどう償えばよいのか。
クンドリ:
(驚愕からひたむきな讃嘆へと表情が変り、恐るおそるパルジファルに寄り添おうとする)
待ちかねていたのよ。世迷い言は沢山。
こちらを見て! 慈しみの女に、すげなくしないで!

※「驚嘆の表情」は、パルジファルこそ待ち望んでいた救済者だと彼女が気づいたことをうかがわせる。
~同上書P73

そして、悟りに至ったパルジファルを認識するクンドリ(クンドリは観音菩薩なのか!)の驚嘆!

第2幕
クンドリ:
私、見たの—あの人—あの人を
そして—嗤ってしまった・・・
そのとき、あの人の眼差しが私を射抜いたの。

※「あの人Ihn」とはイエスのこと。この3人称を2人称「あなた」(パルジファル)と交錯させながら、クンドリの回想は悠久の時間を往還し、「その人seinem」=「あなたdir」に焦点を結ぶ。
~同上書P75

付された音楽の崇高さは宗教音楽を超えたものであり、当時のワーグナーの境地を明確に示すものだ。

パルジファル:
悲嘆に暮れながら激しく求める姿を私は見た、
恐るべき窮地に陥った聖杯の騎士たちが
わが身を苛み、痛めつける姿を。
だが、ただひとつ救いをもたらす
真の泉のありかを見抜いた者はいない。

※パルジファルは、苦行を伴う禁欲が「救い」には役立たないことを見抜き、聖杯騎士団の限界を指摘している。
~同上書P75-77

宗教の終わりを告げる、「再生論」に走るリヒャルト・ワーグナーの真骨頂がここにある。
さらに、いよいよ解決に至る(?)第3幕の妙。

パルジファル:
かつて笑いかけてきた花は、萎れてしまった。
あの者たちも、今日は救いの手を待ち焦がれているだろうか。
お前の涙も恵みの露となった。
まだ泣いているのか―ごらん、野は微笑んでいる。

(クンドリの額にやさしく口づけする)
~同上書P99

そして、アムフォルタスの苦悩を今一度思い出せと言わんばかりにここで録音は一旦第1幕に戻る。

アムフォルタス:
なんとつらい務めを引き継いだことか。
満座のなかでただひとり罪にまみれた私が
至高の聖杯に仕え、けがれなき者たちのために
天の祝福を請い願わねばならぬとは。
おお、天罰だ、たぐいなき劫罰だ。
慈しみ深き主を—ああ!—ないがしろにした報いだ。

※アムフォルタスの絶叫は、わが身の罪深さを嘆くだけでなく、機能停止に陥ったままなすすべもない騎士団への怨嗟の声でもある。
~同上書P37

厳密に天は罰を降さない。自らの良心が自らを罰するのだ。
(アムフォルタスのこの言葉は、現代の僕たちの苦悩を代弁する)
彼はまた次のようにも語る。

ふたたび堰を切った血潮が
流れ出すのは
あのお方と同じ、この傷口から。
突き刺したのは
かつて救い主の傷を抉った、あの同じ槍。
その傷から血の涙を流して
神の子が人の世の罪の恥辱に泣きたもうたのは
かたじけなくも切々たる共苦の思いから。

※極限状態のなかで幻覚を追うアムフォルタスの言葉は、聖杯の輝きが罪深さを浮き彫りにするという文脈を超えて、聖なるものに感応して欲望の血が疼く「聖淫症Hierotomanie」の危うげな気配さえ漂わせる。
~同上書P39

そうやって、アムフォルタスは懺悔するのだ。
終幕の最終シーンが実に静かで見事。クナッパーツブッシュの「パルジファル」はやっぱり別格だった。

第3幕から。

アムフォルタス:
父上!
いと高き祝福に与かりし勇者よ!
その昔、天の御使いも降ったという、けがれなき人よ!
わが身ひとつの死を願った私が
あなたまで死なせてしまうとは。
おお、いまや神の栄光に包まれて
救い主を間近に仰いでおられる父上
どうかおとりなし願いたい、
もしも今日という日に、いまひとたび恵みを垂れ
騎士たちを力づけようと思し召すならば、
主の聖なる血の輝きにより、皆の者には新たな命を
そして私には、これを限りに死を賜りますように。
死—死ぬことこそ
唯一の救い。

~同上書P101-103

生を全うしての死ほど至純なものはない。成道こそ僕たちの使命なのだと痛感する。
そして、最後の有名な合唱のシーンにもはや言葉はいらない。

騎士たち一同(中断および最上段の高みから、かすかに聞こえる静かな声も加わって)
いと高き救済の奇蹟よ
救済者に救済を!

~同上書P105

「救済者に救済を!」に関しての解釈は個々に任されているのだと思う。
(命そのものを救い上げることが真だろう)

メードル ヴィナイ ウェーバー フィッシャー=ディースカウ ナイトリンガー ウーデ クナッパーツブッシュ指揮バイロイト祝祭管 ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」(1955.8.16Live)
bayreuth 1959

ところで、付録のエルマンノ・ヴォルフ=フェラーリ作曲「マドンナの宝石」は、演奏スタイルに少々古臭い印象がある。果してクナッパーツブッシュのような呼吸の深い崇敬かつ鷹揚な表現が必要かどうなのか(ただし、クナッパーツブッシュがこういう歌劇を採り上げていたことが興味深く、抜粋ながら面白く聴かせてもらったのだが)。

・ヴォルフ=フェラーリ:歌劇「マドンナの宝石」(抜粋)(1911)
 第1幕「ずっと前からあなたを愛していた」(ラファエッレ、マリエッラ、ジェンナーロ、チッチーロ、ロッコ、合唱)
 第2幕「開けよ、おお、女神よ、私のために窓を開けてください」(ラファエッレ)
 第2幕「私は塵の中に横たわる」(ジェンナーロとマリエッラ)
ノルベルト・アルデッリ(鍛冶屋ジェンナーロ、テノール)
マルギット・ボコール(マリエッラ、ソプラノ)
アルフレート・イェルガー(秘密結社の首領ラファエッレ、バリトン)
ゲオルク・マイクル(結社員チッチーロ、テノール)
カール・エットル(結社員ロッコ、バス)
ウィーン国立歌劇場合唱団
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団(1937.3.19Live)

ハンス・クナッパーツブッシュ60回目の忌日に。

珍しくもクナッパーツブッシュのインタビュー。

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