
フランシス・プーランクの周辺。
一昨日の投稿の続き。

これら3人の大作曲家に加え、もう一通、アルベール・ルーセルによる長文の返信が残されている。ルーセルの手紙は、「私がフランクの才能で最も感動するのは、情念と、感受性と、愛情に満ちた性格だと思われます」と始まり、作品の具体例を挙げて特徴を述べたり、他の作曲家を引き合いに出したりしながら、内容豊富なフランク論を綴っている。
~久野麗「プーランクを探して 20世紀パリの洒脱な巨匠」(春秋社)P21
ルーセルの作品を聴くにつけ、いかにもフランス風の、ただしドビュッシーやラヴェルとは明らかに異なる、そしてまたフランクとも違う情念と愛情を僕は感じる。おそらく彼がプーランクに宛てた手紙の中で書いたフランク論は、それがまた自身の内にあることを知らないまま(気づかないまま)論じたものだったのだろうと思う(世界は鏡でできているからだ)。
ルーセルはまた古代研究に没頭することで新たなインスピレーションを得た。彼は、「深遠なる美しさ」をもち、「美しく、偉大で、英雄的なものを讃美」する古代に魅了されたのだ。
(フランソワ・ローラン)
アルベール・ルーセルのピアノ作品がいかに弾けたものか。
ソナチネの2つの楽章など沈潜する楽章との見事な対比が、実に世界の陰陽を明確に表現しており、美しい(ジャズの影響? あるいはプロコフィエフ風モダニズムの影響もか?)。
そしてまた、作品番号を持たない、ドビュッシー追悼の「ミューズのもてなし」の、水面に浮かぶ音符がゆらゆらと煌めく様を、暗澹たる音調で描くドワイアンのピアノの神秘感。
堪らない。
アンドレス・セゴビアに捧げられた、エキゾチックな「セゴビア」がまた素敵。
もちろん、リリー・ラスキーヌに捧げられた即興曲もだ。
(独奏ハープのための作品は滅多にみないが、ルーセルのこの作品は、喜びの表情に溢れ、僕たちに明るい未来を想像させてくれる)
ラスキーヌのハープが文句なしに美しい。