カラヤン指揮ベルリン・フィル シベリウス 交響曲第2番(1980.11録音)

無機的な情熱と言えば聞こえは悪いが、確かにカラヤンの演奏は、アンサンブルの緻密さにもまして、音の無慈悲な響きに特長があると僕は思う。錬磨された音楽は、聴く者の心を打つ。しかし、時に強烈な音響によって魂が破壊されるほどで、その意味では決して耳には心地良くない。

カラヤンのシベリウスは、特にそういう音像を示す。
1980年代に入り、デジタル録音が主流になっていく中で、心を感じさせない彼の音楽に僕は随分抵抗を覚えたものだ。しかし、40年を経てあらためて傾聴したとき、無機質なのはむしろ僕の受け止める心だったのではないかと反省した。

見落とされがちだが、カラヤンは優秀なシベリウス指揮者でもある。このフィンランドの作曲家自身が、カラヤンのことを、「私が心に思い描く通りに演奏する唯一の指揮者」と証明してくれている。
ヘルベルト・ハフナー著/市原和子訳「ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝」(春秋社)P273

北欧の身体を切り刻むような寒波を顕すカラヤンの音は、まさにシベリウスの心を打った。これでいいのである。

マエストロのテンポは、ほんらいきびきびしているのが特徴だったが、1980年代には、ひどくゆったりとなってきていた。そしてこの1980年代に、かつてのLPとおなじ録音技術上の革命的な発明が生まれ、彼はそれから大きな利益を得ることになる。カラヤンはつねに新しい録音技術の追求に熱中していた。だから、オランダのフィリップスが、早くから扱いやすい珪素の音盤の開発を行っているという情報を得ていた。この音盤はその直前に開発されていたデジタル録音を乗せるのにぴったりだった。
ルーペルト・シェトレ著/喜多尾道冬訳「指揮台の神々—世紀の大指揮者列伝」(音楽之友社)P317

老練の魔法と技術革新の邂逅とでもいうのか、カラヤンはハードの重要性をはっきり認識し、その発展の流れを決して見逃さなかった。先見の明である。ゆえに彼の芸術は、存命のときより今、死後30余年を経てあらためて聴き、発見がある代物だ。

・シベリウス:交響曲第2番ニ長調作品43
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1980.11.16-17録音)

豪快な第2楽章の音、あるいは、終楽章アレグロ・モデラートなど、少々やかましいと感じさせる瞬間もある演奏だが、80年代のカラヤンの音楽ビジネスに命を懸けんとした勢いに、今になって僕は快感を覚える。果たしてシベリウスが求めた音は、音楽は、こういうものだったのだ。

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