自由なれど孤独に

頑固でしかめっ面というイメージのブラームス。若い頃、その音楽もジメジメしていて好きになれなかった。しかし、ある時、実は「愛」に溢れているんだと実感したとき、ブラームスに対する印象は一変した。弦楽六重奏曲第1番に触れたとき。クラリネット五重奏曲に触れたとき。彼の音楽は切ない。

人は寂しくなると頑なになる。ブラームスはとても孤独な幼年期を過ごしたようだ。家計を支えるため子供の頃から居酒屋でピアノ演奏のアルバイトをした。もともと音楽的才能に恵まれていたゆえ彼にとっては何でもないことだったろう。しかし、寂しさを癒すためにピアノや音楽に向かっていたとも解釈できる。

ブラームスのモットーは「自由なれど孤独に」。意味深い言葉だ。「自由」と「孤独」はある意味表裏一体。「自由」とは、人と人の壁、人と組織の壁を取っ払うということ。取っ払えてこそ「自由」を謳歌できる。そして、取っ払うということは「一つになる」ということでもあり、また「孤独になる」ということでもある。矛盾しているように思えるが、それは「真理」だと思う。人間の存在、地球の存在、宇宙の存在そのものが「孤独」というものなのかもしれない。もとは全て「一つ」。「一つ」ということは「孤独」ということ。禅問答のようだが、芸術とは「孤独」を表現し、「シンクロ」を表現するものだと思う。さしづめ、ブラームスの音楽はその両方を表現する孤高のアートである。

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83
クリスティアン・ツィマーマン(ピアノ)
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

今夜、「人間力」セミナーの仲間たちと1ヶ月ぶりに再会、忘年会を開いた。人と人はシンクロしている。つながっている。またもや実感した。然るべくして遇う。人生のレールは敷かれているようだ。こういうときにはなぜか「孤独」なブラームスの音楽が聴きたくなる。それは、彼の音楽が「一つ」を表現しているから。第3楽章の「愛」に溢れた楽音を聴きたまえ。第2楽章の「勇気」ある情熱的な音の連なりを聴きたまえ。そして第1楽章と第4楽章の「シンクロ」は完璧である。ツィマーマンとバーンスタイン、そしてウィーン・フィルハーモニーが織り成す「音」のタペストリー。必聴!

⇒旧ブログへ


1 COMMENT

アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » ビーチャムのベートーヴェン第7交響曲

[…] 高田馬場のムトウ楽器が4月いっぱいで閉店だそうだ。 時代の趨勢というか何というか。学生時代にはお世話になった。とはいえ、それほど頻繁に出入りしていたわけでもなく、卒業後は滅多に訪れなかったのだからそうでない人に比べるとさほどの感慨深さはない。音盤を購入した数は数えるほどだからかどうなのか意外にあのお店で何を買ったのかを明確に憶えているから記憶というのは大したもの。 例えば、ピーター・ガブリエルの4枚目や5枚目はムトウで購入した。ツィマーマンがバーンスタイン&ウィーン・フィルと録音したブラームスの第2協奏曲もここだった。懐かしいのは、「フルトヴェングラーその生涯の秘密」というレーザーディスク。今となってはもはや二束三文の価値だが、20数年前は確か1万5千円とかしたんじゃなかったか・・・。 […]

返信する

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む