静寂

キーンと冷たい冬の空気の中を独り歩きながら「静寂」の音を聴きたくなった。都会の喧騒を離れて静かに佇みながら耳に入り込んでくる「空気」の音。「空」の音。「星」の音。そして「闇」の音。懐かしい。
僕は毎日何かしらの音楽を聴く。CDの場合もあり、生の楽器演奏という場合もある。ジャンルを問わず様々な土地の様々な時代の音楽はとても興味深い。底なし沼のように無限の世界である。
本当は電気を通さない生音が絶対に耳に心地よいはずだ。「癒し」や「愛」という観点から考えると「アコースティック」であることはとても重要な要素であると思う。しかし、20世紀のポピュラー音楽の歴史を振り返ってみると、電気、つまりエレキが革新を煽ってきた。アメリカで興ったロックンロールやエルヴィス・プレスリー。そして何と言ってもボブ・ディランは「Like a Rolling Stone」でフォーク・ミュージックの世界から一歩踏み出し、フォーク・ロックという新たな地平の扉を開いたのである。マイルス・デイヴィスも然り。「Bitches Brew」でモダン・ジャズの世界に初めて電気を持ち込んだ。賛否両論の渦が巻き起こった。往年のジャズ・ファンの耳にはとても奇異に聴こえたことだろう。しかし、今その音源を聴いてみるととても斬新だ。古びていない。かっこいい(今の世の音楽に電気は不可欠かもしれない。ただ、あまりにエレクトリック音ばかりを聴いていると耳が疲れることは間違いない)。

Simon & Garfunkel:Sounds of Silence

サイモンとガーファンクル。当時女子どもが聴く音楽などという言われようだった。つまり、女々しいということだ。確かにレッド・ツェッペリンやディープ・パープルを好むハード・ロック命の男どもから見たら、S&Gのファンはなよなよしているといえるのかもしれない。でも、ポール・サイモンの天才性は「Sounds of Silence」1曲を聴くだけで明白だ。
「静寂の音」という逆説的なタイトルからして刺激的である。もともとはファースト・アルバムにアコースティック・バージョンとして収められていたこの曲に、一部の地域で話題になったことを理由にプロデューサーのトム・ウィルソンが無断でパーカッションとエレキをオーバーダビングして再び世に問うた。 1965年秋。大ヒットした。おそらくS&Gを知らない世代もこの曲は聴いたことあるだろう。「翳」のある名曲だ。

暗闇よ、こんにちは。
また話に来たんだ。
なぜって幻がそっと忍び寄って
寝ている間に種を置いて行ったんでね。
僕の頭に植えた種は
まだ芽吹いてもいない、
静寂の音の中で。

目くるめく夢の中で僕は1人で歩いていたんだ、
古い石畳の狭い通りを。
街頭の灯りの下
僕は冷たい霧に襟を立てる。
僕の目にネオンの光が突き刺さった時
それは夜の闇を割いて
静寂の音に触れた。

裸の光の中に見えたのは
一万人かそれ以上の人達。
口もきかずに話している人達。
耳もかさずに聞いている人達。
声が出る幕のない歌を書いている人達。
だれも勇気を出して
静寂の音を破ろうとしない。

「馬鹿者め」僕は言った「知らないのか。
癌みたいに沈黙は広がっていくんだ。
教えてやるから僕の言葉を聞くんだ。
君たちに手を差し伸べるから僕の腕をとるんだ。」
でも音をたてない雨粒みたいに僕の言葉は落ちて行き
こだました、
静寂の井戸の中で。

そして人々は頭を垂れ祈る、
彼らの作ったネオンの神に。
そしてネオンは警告の言葉を映し出す。
ネオンが作り出した言葉は
こう言っていた。「預言者の言葉が地下鉄の壁に書いてある。
安アパートの玄関にも。」
そしてネオンは何やらささやいた、
静寂の音の中で。

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