上岡敏之指揮読響のベートーヴェン交響曲第9番「合唱付き」

beethoven_9_kamioka_yomikyo_20151222404言葉にならないほどの衝撃。どの瞬間もあまりに鮮烈で、圧倒的。意図せず鳥肌が・・・。
ベートーヴェンは古典派ではなく、ましてやロマン派でもない。
音楽史の中に燦然と輝く、まさに「ベートーヴェン」という唯一無二の派閥なのだと痛感した。楽聖はどこにも属さない。つまるところ、人間ではないのである。
確かに上岡敏之はうまいことを言う。

ベートーヴェンの全作品を通じて感じるのは、器楽、声楽を問わず、音楽に息継ぎする箇所がないということです。ベートーヴェンのオペラ〈フィデリオ〉を振っている時にも感じたことですが、ベートーヴェンという人は、「人間は息をしてはいけない」と考えていたふしがある(笑)。
~月刊オーケストラ12月号P13-14

ベートーヴェンが過呼吸気味だったのかどうなのか(笑)、そんなことはどちらでも良い。
何より楽想の湧出が先なのである。演奏技術は二の次。それゆえ彼が指示したテンポは何においても一気呵成で、凡人には理解不能で、あまりに速過ぎるという通説通りなのだろう。すべてが疾風の如く。それでいて軽さを感じさせない精妙かつ高貴な表現。

読響第587回サントリーホール名曲シリーズ
2015年12月22日(火)19時開演
サントリーホール
・ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱付き」
イリーデ・マルティネス(ソプラノ)
清水華澄(メゾソプラノ)
吉田浩之(テノール)
オラフア・シグルザルソン(バリトン)
新国立劇場合唱団
日下紗矢子(コンサートマスター)
上岡敏之指揮読売日本交響楽団

正味58分ほどの祝祭、超快速「交響曲第9番」。おそらくカルロス・クライバーが棒を振ったなら似たような解釈になるのではないかと思わせる、上岡の神業。
第1楽章アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ウン・ポコ・マエストーソは約11分。ここにあるのは怒りのベートーヴェン。続くスケルツォ(モルト・ヴィヴァーチェ)の壮絶なドライヴ感に卒倒。トリオの優雅な木管のアンサンブルにも感動。最後の音をディミヌエンドする魔法がまた素晴らしい。約10分。
そして、上岡の指摘通り第3楽章アダージョ・モルト・エ・カンタービレは、ほぼアンダンテのテンポで。何という爽快な音楽であることか!浪漫的なうねりも粘りも皆無でありながら、しかし深遠な精神性を思わせる解釈が指揮者の真骨頂。約11分。

ところで、一般的にはアタッカで終楽章になだれ込むことが多いのだが、上岡はソリストをようやくここで登場させ、一呼吸置く。
終楽章「歓喜の歌」、約21分。快速のプレスト、そしてシグルザルソンの見事なレチタティーヴォが炸裂する。芯のある深く重い歌唱。素晴らしい!
解放感溢れる合唱に、4人の独唱者が絡み、シラーの頌歌を見事に歌い上げる様!
上岡が再生する、確かにほとんど息継ぎもないような超前進的な音楽が聴衆をめくるめく坩堝に誘う。何よりコーダの手に汗握る猛烈なスピードの大団円に腰を抜かすほど。
凄かった・・・。

興味深いのは、その音楽の猛烈さに対して各楽章間の間(ま)の不思議な静寂を伴うゆったりさ。これこそ緊張と弛緩のドラマだと納得。音楽は、音楽をしていない間(ま)も音楽なのだと知った。

 

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3 COMMENTS

雅之

第九がベートーヴェンの人生、いや我々のこの1年の総決算として聴くならば、「光陰矢の如し」を痛感できる超特急演奏が良さそうですね。今を大切にしなければならぬことを改めて気付かせてくれそうです。

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岡本 浩和

>雅之様
まさに「光陰矢のごとし」と「今ここ」をあらためて体感したコンサートで、第九でもう一度聴いてみたいと思わせられたのは久しぶりでした。
ありがとうございます。

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