東京藝術大学 打楽器専攻生有志による PERCUSSION ENSEMBLE

ステージ上に所狭しと、鎮座した数多の打楽器が壮観だった。
曲目毎に編成が変わるので、楽器は都度入れ替えられ、並べ替えられた。
人の声と打楽器は、おそらくもっとも原始的な音楽の方法なんだろうと思う。
そこには喜びの発露があり、哀しみの沈潜があり、また偉大なる天への祈りがあった。

本来ならもっと激しい、そしてインプロヴィゼーション的な要素が絡みそうな作品たちだったが、そこは歴と現代音楽ゆえ、おそらくきちんと楽譜に記された通りに演奏されたのだろうと思う。さすがに藝大の打楽器専攻生有志ゆえ、抜群のインタープレイだった。

コンサートの劈頭を飾るのは昨年逝去した西村朗の作品。端っからガムラン音楽ならぬケチャの生命力の見事な投影に僕の心は反応した。最終コーナーでティンパニストが撥を思わず飛ばしてしまうほどの凄演に興奮を覚えた。劇的な鼓動の調べこそ命の源泉なんだと思った。
続く、浦部雪の作品は、戦時中の、ファシズムの嵐吹き荒れるローマを舞台にした、フルヴィオ・ディアリオの日記をもとにした、いわば台詞のない打楽器オペラ(のようなものか)。

ある日、フルヴィオの目の前で一機のドイツ軍戦闘機が六機のアメリカ軍戦闘機に追われ集中砲火を浴び撃ち落される。フルヴィオは墜落したドイツ軍戦闘機の様子を見に行くが、モーターからはまだもくもくと煙が立ち上がり、そして操縦席には首から上のない一人のドイツ軍兵士を見つける。
~プログラムノート(執筆:小山真愛)

おそらくこのあたりの音の描写こそ、前半のクライマックスたる様相を示していたように思う。恐るべき阿鼻叫喚(演奏としては整理され尽くしていたので、もう少し羽目を外していても良かったと思うのだけれど)!!

とにかく曲ごとの舞台転換が忙しい。
20分の休憩をはさんで後半は、ジェラール・グリゼイの作品「機械仕掛けの時間」(本人は1998年11月に動脈瘤破裂のため52歳で急逝している)。そのタイトル通り、実に時間的には単調に(しかし音楽的には複雑に)音楽が進む様子は、一瞬睡魔に襲われそうになったが、そこは堪えた(笑)。

冒頭、1人ずつ演奏者が増えてゆくが、恐ろしいことに6人は同じテンポを共有していない。1人目が♩=45で始めた後、2人目からは♩=60、75、90、105、120と全員が異なるテンポで進むのである。加えて、各々の拍子そのものも次々と変わり続ける。
~プログラムノート(執筆:小山真愛)

クライマックスでは全員のテンポが一つになるのだが、そこがやっぱり聴きどころだったか。ただし、個人的には変拍子や、こういう数学的思考による作曲法から創造された音楽にはより一層の求心力と遠心力が欲しいところ(もっとロックを!!(笑))
そして、掉尾を飾るエリオット・コールの「後奏曲集」は実に素晴らしかった。特に僕のお気に入りは第6曲。唯一指で鳴らされ続ける低音に乗せて他の3人がコントラバスの弓で得も言われぬ揺れる音を作り出すそのハーモニーがとても美しかった。

9年ぶりの川口総合文化センターリリア。この3月から2年間かけての大規模改修工事に入るそう。

過去記事(2023年3月20日)


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