カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート1992(1992.1.1Live)

カルロス・クライバーは1992年、2年前にニューヨークで他界したレナード・バーンスタインの代りに、ウィーンでニューイヤー・コンサートを指揮した。クライバーがやる気になったことには、ウィーンのヨハン・シュトラウス協会会長フランツ・マイラーが深く関わっていた。
アレクサンダー・ヴェルナー著/喜多尾道冬・広瀬大介訳「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 下」(音楽之友社)P306

わずか3年後に再びカルロスが登場したことに、僕は驚いた。
創立150年の記念年に彼はウィーン・フィルと共に来日することになっていたが、病気を理由に直前に潰えたことで、いよいよ彼は文字通り幻の存在になっていった。
伝記を読むにつけ、彼の精神状態が尋常ではなかったことがわかるが、それでもまだまだ情報の少ない90年代初頭には、まだ実演を聴く機会はあるものだと僕は信じていた。

わたしはプローベのあとでクライバーにこう尋ねた、『なぜやる気になったのですか』。彼はこう答えた、『ぼくがまだできるかどうか試すために。ニューイヤー・コンサート以来、全然指揮していないからね』。わたしは彼に言った、彼の指揮ぶりはこの上なくすばらしかったと。すると彼は皮肉でなく言った、『そう思いますか』。もちろん彼は自分の価値を知っていた。だれもが彼の自意識過剰を知っていた。またその自己懐疑癖も」。
~同上書P311

自意識過剰、自己懐疑癖、いずれも「我(が)」の極致だ。
真我と仮我の葛藤。
もちろん本人に自覚はなかっただろうが、我欲を手放し、大宇宙とのつながりの中で大いなる創造力を発揮したカルロスの力はすごかった。

1992年のニューイヤー・コンサート。
全体の印象としては89年の、初登場の際の演奏の方が全体のまとまりに優れ、同時に個々の作品の表現にも一日の長ありだと思う。
カルロス・クライバーらしくなく、準備不足なのだろうかと当時は思っていた。

カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート1989(1989.1.1Live)

カルロス・クライバーとの2度のコンサートは頂点だった。まぎれもないウィーン情緒がたっぷりと流露した。
(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団長ヴェルナー・レーゼル)

気難しいカルロス・クライバーの2度の大晦日への登場は、息を吞むほど美しく、華麗な響きに彩られ、これまでにない卓越した演奏とたたえられた。彼のアゴーギク、デュナーミク、フレージングへの比類ない感覚は、シュトラウスのワルツを無害な音楽と見なすこれまでの解釈を打破し、深いエモーションを掘り出した」。
「デア・シュタンダルト」誌(1999年)
~同上書P309

ニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲が素敵だ。

・ニコライ:歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
・ヨハン・シュトラウスII世:ポルカ・マズルカ「町と田舎」作品322
・ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「オーストリアの村つばめ」作品164
・ヨハン・シュトラウスII世:ポルカ「観光列車」作品281
・ヨハン・シュトラウスII世:喜歌劇「ジプシー男爵」序曲
・ヨハン・シュトラウスII世:ワルツ「千一夜物語」作品346
・ヨハン・シュトラウスII世:新ピチカート・ポルカ作品449
・ヨハン・シュトラウスII世:ペルシャ行進曲作品289
・ヨハン・シュトラウスII世:トリッチ・トラッチ・ポルカ作品214
・ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「天体と音楽」作品235
・ヨハン・シュトラウスII世:ポルカ「雷鳴と電光」作品324
・ヨハン・シュトラウスII世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
・ヨハン・シュトラウスI世:ラデツキー行進曲作品228
カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1992.1.1Live)

久しぶりに聴いた。
89年との比較は横に置く。
カルロスならではの力が漲るコンサートの記録だった。
2度出たのだからもうお終いとした彼の気持ちもわからないでもない。新たな曲目を据え、カルロスが笑顔を振りまいた新年のコンサートは極めて活況だった。
「ジプシー男爵」序曲も「天体と音楽」も素晴らしい出来。

十八番の「雷鳴と電光」はいつものように喜びに満ちる。

もし、バーンスタインが長生きし、このコンサートの指揮をしていたらどんなだったのだろう?
聴いてみたかった。

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