
ブラッド・メルドーは詩人だ。
「暗黙の同意」と題し、彼は書く。
恋人たちは信頼の一刻に身を委ねるか、あるいは尋ねることなくあえて受け入れるかする。この譲り合いと受け取りが、何の約束事もなしに行なわれるという事実、もちろんそれにはリスクを伴うという事実が、欲望に翼を与え、同時に欲望を無意識に逸脱的なものにする。「同意」はあるにはあるが、それは暗黙のものだ。この暗黙の同意の性質は、詩人、芸術家、また音楽家(平凡な言説には決して左右されない静かな存在)にとって、文字通り「神聖なもの」となる。報われない欲望、あるいは恍惚の中で神聖化された欲望は、音楽というものを明確に顕す。音楽とは、緊張と緩和の連続に包まれた調性それ自体のゲームだ。曖昧な暗黙の中でこそ、音楽は親密なギブ&テイクを明瞭に描き出すことができるのだ。
(ブラッド・メルドー)
神聖なる暗黙の同意。
音楽とは、何と人間的であることか。
メルドーのピアノが発する頽廃的な音調は、逸脱した欲望そのものでありながら、他の追随を許さない神聖なものである点が興味深い。彼のソロは素晴らしいが、伴奏に回ったときのピアノは、曖昧な暗黙の中で歌手の意念を飛翔させ、より一層の神聖さを発揮するのだ。

ブラッドと私は、2016年、南バイエルンのエルマウ城で出会った。以後、お互いのコンサートに通い、夕食を共にし、話をするうちに、ブラッドが私たちのために曲を書いてくれることになった。その結果生まれたこの「欲望という名の愚行」は、リートの伝統に驚くべき1巻を加えた。大胆な野心をもって作られた詩に付された音楽は(イェイツの「レダと白鳥」の他の編曲を知らないが、これは素晴らしいアレンジだ)、シンプルなものから複雑なもの、静かなものから騒々しいもの、皮肉なものから感傷的なものまで様々なスタイルが駆使されている。ホイットマンの言葉を借りるなら、まさに「多様性を内包している」のだ。
(イアン・ボストリッジ)

彼らはここ数年、ヨーロッパとアメリカでこの歌曲集を、シューマンの「詩人の恋」とセットで繰り返し演奏してきたらしい。そうすることで、2つの連作歌曲は互いに光を当て合い、それによって、俗っぽい「詩人の恋」が浄化されたのだという。
何と、「詩人の恋」と組み合わせるとは名案だ。

Personnel
Ian Bostridge (tenor)
Brad Mehldau (piano) (2022.7 recording)
フーゴー・ヴォルフの雰囲気に近い、狂気と聖なるものを併せ持つ不思議な世界が面前に現出する。人間の愚行の根源たる欲望は、それあっての人間だけれど、またそれがあるからこそ聖人や佛になれる媒介のようでもある。「煩悩即菩提」こそ墓碑銘なり。
冒頭の”The Sick Rose”から世界は一変する。
そして、ブレヒトの詩に音楽を付した” Über die Verführung von Engeln”でのボストリッジのアイロニカルな歌に感応し、続くゲーテによる”Ganymede I”の感傷性、神秘性、人間業を超えた何某かが世界を包み、僕たちを真の静寂へと導くのだ。
最終回答は、オーデンの”Lullaby”にあり。
「世界を淡く見よ」とオーデンは言う。それができれば自然を超えた共感を得ることができ、普遍的な愛を獲得できるのだという。
(本来は誰の内にもある慈しみの発露こそ普遍的な愛)
アルバム後半は、いわばアンコール・ピースだ。
コール・ポーターの名曲が、シューベルトの名作が、今一度人間世界の美醜から解き放たれた真の美を表現する。