今井信子 ペンティネン ブリテン 無伴奏ヴィオラのための「エレジー」(1996.11録音)ほか

少年時代のベンジャミン・ブリテン。
8歳の時の作曲作品にヘンリー・ワズワース・ロングフェローの詩による「ご用心」があるが、詩を読むと、まさに生涯独身であった彼の深層心理が歌われており、興味深い。

ぼくは見目麗しい乙女を知っている
気をつけて!
彼女の優しさは見せかけ
ご用心! ご用心!
彼女を信用するな
彼女はおまえをだましている!

デイヴィッド・マシューズ著/中村ひろ子訳「ベンジャミン・ブリテン」(春秋社)P7

人間の性癖というのは、生涯変わることがないものなのだろうか。
(6万年来の因縁がそう簡単に超えられるはずもなかろう)
そして、少年のお気に入りは毎週日曜日の午後、(厳格な)母親との連弾での「ジークフリート牧歌」だったらしい。(素敵だ)
(彼が女性を避け、男色になったのには母親の厳格さの影響はあろう)

グールド編のワーグナー「ジークフリート牧歌」(1973.2録音)ほかを聴いて思ふ グールド編のワーグナー「ジークフリート牧歌」(1973.2録音)ほかを聴いて思ふ

初期作品を聴いた。
これら室内楽は、いずれもが挑戦的、革新的な音楽である。
ブリテンは音楽家の常で(?)気性烈しく、感情的アップ・ダウンも極端だったらしいので、特に若き日の作品にはそういう雰囲気が直接的に刻み込まれているが、それでも、否、それゆえに(芸術として)とても面白く聴ける作品群だ。

ブリテン:
・ヴィオラとピアノのための「投影」(1930)
・無伴奏ヴィオラのための「エレジー」(1930)
今井信子(ヴィオラ)
ローランド・ペンティネン(ピアノ)(1996.11.1-3録音)

実験精神旺盛な16歳のブリテンが書いた挑戦。
1930年5月、ロンドンの王立音楽学校から音楽奨学金の提案があり、それに応募したブリテンの作品を見たヴォーン・ウィリアムズやアイアランドは「まともでない」と思ったそうだ。それでも結果的に奨学金をもらったブリテンは、修了試験に合格し、グレシャム校を後にし、その翌日、最高に現代的な作品を書くのだ。

ヴィオラ・ソロのための、短い、無題の「悪くない」作品である(現在《エレジー》として出版されている。冒頭から徹底的な無調で書かれ(最初のフレーズだけで十二音のうち十音が使われている)、ffff(フォルティティティッシモ)と記された悲痛きわまるクライマックスへと昇りつめ、弱音で終わる。和やかとはいえないこの作品を自分で演奏しながら、驚くべき16歳の少年が何を考えていたのかは、想像するしかない。
~同上書P20-21

いやはや、この精神性の深さは、とても人生1回目の少年のものとは思えない。
(彼は一体何度目の人生なのだろう?)
今井信子のヴィオラの深遠さは類を見ない。ただし、それ以上に神秘感を醸すのはローランド・ペンティネンだ(1989年のPROMSで僕は実演を聴いた)。
続く「エレジー」の狂気!!(今井は楽器と同化し、緊縛された心を解放する)
(今井信子の生み出す音楽の自然さの理由、それは何なのか? どうやらプエルトルコでのカザルスの下での演奏が原体験のようだ)

カザルスは指示をするというよりは体から出てくるパワーで弾かせるタイミングを分からせる人でした。音楽祭の参加者と室内オーケストラをつくって演奏したんですが、カザルスと一緒に息をして一緒に弾くという経験は価値のあるものでした。一度音楽が始まってその波に乗ると、自然と弾けてしまうんです。カザルスの指揮から生まれる勢いと拍感に乗ってみんな一緒に弾き出す―弾くというのは体で感じるものなんですね。
王子ホールマガジン Vol.46より

ベルグルンド指揮デンマーク王立管のニールセン交響曲第5番(1988.8録音)ほかを聴いて思ふ ベルグルンド指揮デンマーク王立管のニールセン交響曲第5番(1988.8録音)ほかを聴いて思ふ

・ヴィオラとピアノのための「ラクリメ」作品48
クシストフ・ホジェルスキー(ヴィオラ)
カティア・アペキシェワ(ピアノ)(2010.10.10-12録音)

ジョン・ダウランドにインスパイアされたこの変奏曲は、1950年(すでにブリテンは天才作曲家の名をほしいままにしていた)に作曲されたものだ(第6変奏に「流れよ、我が涙」が引用される)。ブリテンの激性ではない、安穏の側面が如実に表れた名曲だ。

ダウランドのリュート歌曲集第2巻を聴いて思ふ ダウランドのリュート歌曲集第2巻を聴いて思ふ

・無伴奏オーボエのための「オウィディウスによる6つのメタモルフォーゼ」作品49
ジャネット・クラクストン(オーボエ)(1976.2.17-18録音)

この哀愁!! この懐かしさ!!
(「トリスタンとイゾルデ」第3幕冒頭を喚起する)
ブリテンが伴奏なしの選択をしたとき(「エレジー」然り)、彼自身が心の内を解放したときなのだろうと想像する。鬱積される何かが放下されるときのカタルシスを「メタモルフォーゼ」にも垣間見る。クラクストンのオーボエがまたとても悲しい。

《ビリー・バッド》の作曲はほとんど2年がかりだったが、その間、3つの作品が書かれている。ヴィオラとピアノのための《ラクリメ—ダウランドの歌曲の投影》は、ウィリアム・プリムローズとブリテン自身が1950年のオールドバラ音楽祭で演奏するために書かれた。オーボエのための〈オウィディウスによる6つのメタモルフォーゼ〉は、1951年の音楽祭で、オールドバラ近くの小さな人造湖ソープネス・ミアに浮かべたボートの上でジョイ・ボウトンが演奏した。今日では、無伴奏オーボエのレパートリーとしてはもっとも広く演奏される作品となっている。
~同上書P141

そして、組曲作品6の音楽としての安定感は、ブリテンが古典的な、保守のマインドをも持ち合わせていることを示す。

・ヴァイオリンとピアノのための組曲作品6
アレクサンダー・バランチック(ヴァイオリン)
ジョン・アデイ(ピアノ)(1994.1.14録音)

初期ではもっとも優れた、完成度の高い作品の一つである。この作品には、ウィーン風の要素がいくつか見られる。〈序奏〉は完全に半音階で、依然としてシェーンベルクに魅入られていることがわかる一方、〈終曲〉は凝った造りの華やかなワルツである。その間に〈行進曲〉—ブリテン好みの形式の好例である—と、美しい〈子守歌〉が挟まる。ブリテンが、眠りのもつ癒しの力を最初に取り入れた作品である。
~同上書P41-42

・ヴァイオリンとピアノのための「起床ラッパ」(1937)
ロレイン・マッカスラン(ヴァイオリン)
ジョン・ブレイクリー(ピアノ)

宇宙の混沌から少しずつ覚醒していく様子を音で描く「起床ラッパ」。
(ブリテンは、世界を音化する才に長けている)

・オーボエとピアノのための「2つの昆虫の小品」(1935)
・オーボエとピアノのための「世俗的変奏曲」(1936)
ハインツ・ホリガー(オーボエ)
アンドラーシュ・シフ(ピアノ)(1991.7録音)

あるいは、バッタとスズメバチの動きを絶妙に描写する遊び心と作曲能力はブリテンの観察力の鋭さを教えてくれる。

ブリテンは、生涯を通じて極端な自信過剰と自信喪失を繰り返しており、後者が実にたやすく前者に勝ってしまうのだった。よくできていたオーボエとピアノのための《世俗的変奏曲》は、1936年の後半に一度だけ演奏され、お蔵入りになってしまった。この場合は評判か悪かったからではなく、演奏者の一人とうまくいかなかったためらしい。
~同上書P34

さすがにホリガーとシフによる「世俗的変奏曲」は、いわば「パンドラの箱」を開けるが如く、最後には幸せを感じさせる熱演。
ベンジャミン・ブリテンの比較的知られざる小品たちとの邂逅に僕は感動を覚える。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む