
ブラッド・メルドー作の”The Folly of Desire”を評する、イアン・ボストリッジの言葉の中に「大胆な野心をもって作られた詩に付された音楽はシンプルなものから複雑なもの、静かなものから騒々しいもの、皮肉なものから感傷的なものまで様々なスタイルが駆使されている」とある。この言葉は、そのままショスタコーヴィチのとある交響曲にも当てはまる。

ガルシア・ロルカ、ギヨーム・アポリネール、ヴィルヘルム・キュヘルベケル、そしてライナー・マリア・リルケの詩に音楽を付した交響曲第14番作品135だ。
凡そ「死」をテーマにしたそれぞれの詩が、ショスタコーヴィチのあまりに多様なイディオムを駆使した音楽との合一により、人間の精神に途轍もない重圧を課す。
それは、「暗い」という表現では表しきれない、此岸から見た黄泉の国への恐怖を示唆するが、しかし、ここにはまた希望という光も刻まれているように僕には思える。
そう、「死」とは、彼岸から見れば、決して暗いものではない。まして恐ろしいものもない。
ただし、問題は、(通常は)輪廻の環を超えられないという事実だ。
「哀悼の歌(デ・プロフンディス)」
百人の恋人たちは
永遠に眠る
乾いた土の下で。
アンダルシーアは
紅の長い道を持つ。
コルドバよ、緑のオリーヴの木々よ、
そこは、恋人たちの思い出に
百本の十字架を立てるべき場所だ。
百人の恋人たちは
永遠に眠る。
~小海永二訳「ロルカ詩集」(土曜日術社出版販売)P28-29
1921年の「カンテ・ホンドの詩」から引用された「哀悼の歌」は、交響曲の劈頭を飾る。
永遠の眠りこそ安息だと世間では解釈される。いずれ近いうち、再び此岸に戻ってくるというのに。なぜ戻るのか?
心の成長のためにだ。
果して今、ドミトリー・ショスタコーヴィチはどこにあるのか?
今だ地獄か、はたまた次の生を得ているのか。
第2楽章「マラゲーニャ」も同じくロルカの「カンテ・ホンドの歌」に収録されるものだが、この2つの詩の対照性を、ショスタコーヴィチは実に巧みに音化する。このスケルツォ風の楽章においては、いかにもショスタコーヴィチというお道化た調子が、余計に死を、人間には回避することができない暗澹たるそれを想起させるのである。
(これぞ「死の舞踏」!)
ロルカの生れ故郷、南スペインのアンダルシーア地方は、スペインじゅうで最も歌と音楽、詩と踊りの盛んな地方といわれる。村人たちは、オリーヴ畑の中の白壁の家を出て広場に集まり、男も女も老人も子供も、ギターに合わせて歌い踊る。やがて感興が高まるにつれて、中央に踊りの名手といわれる村の娘が進み出て、周りの人々から盛んな「オーレ」という掛け声がかかると、〈ドゥエンデ〉(アンダルシーアの魔性、デーモン)が踊り手の身体に乗り移り、彼女は陶酔と恍惚の中で熱狂的な踊りを見せる。
一方、村のロバ追いや農夫たちは、馬に乗って畑を行きながら、きわめて質の高い詩や音楽を即興的に口ずさむ。彼らの間では、歌をうたうことが生活の一部になっていた。
~同上書P135
1969年10月6日、モスクワ音楽院大ホールにて、バルシャイ指揮モスクワ室内管弦楽団によって初演される。独唱はヴィシネフスカ(ソプラノ)とウラジミロフ(バス)。
アポリネールの詩「用心して」による第5楽章は、いかにもショスタコーヴィチらしい皮相な軽快感漂うもので、個人的に好きな音楽の一つ。そして、同じくアポリネールの詩による第7楽章「ラ・サンテ監獄にて」は、8分20秒の悠長なアダージョ楽章だが、ショスタコーヴィチの音楽のこの重苦しさこそこの交響曲のクライマックスだといえまいか。
ちなみに、ギヨーム・アポリネールは、1918年11月、スペイン風邪によってわずか38歳で急逝する。
ガルシア・ロルカは、1936年8月、スペイン内戦の最中、匿われていた友人宅からファシストの一隊に連行され、その2日後、銃殺された。
さて、交響曲第14番の作曲秘話が興味深い(自信喪失という苦悩の中で生み出された作品だ)。
ショスタコーヴィチが追いつめられるにいたった原因は明らかである。スターリン亡き後の現代においてもはや政治的抑圧を口実とすることはできない、書かれた音楽はソヴィエト音楽史ではなく、世界の音楽史の一頁として意味づけられなくてはならない、という焦りにも似た思いである。彼が陥っていた自信喪失は、その意味できわめてパラドキシカルだった。彼の同時代人の少なからぬ部分が、今では新しい書法によって新たな「意味」の世界を構築しようとしていたからである。自分が軽んじてきた十二音音楽やセリー音楽にも自分の音楽と同じぐらい強い表出力があることは疑いようがない。アコピャーンによれば、交響曲第14番に着手するにあたってショスタコーヴィチは次の4つの音楽をことのほかつよく意識していたという。
1.ベンジャミン・ブリテン『戦争レクイエム』(1962)
2.ルトスワフスキ『織りあげられた言葉』(1965)
3.ペンデレツキ『怒りの日』(1967)
4.ストラヴィンスキー『レクイエム・カンティクルズ』(1966)
~亀山郁夫「ショスタコーヴィチ 引き裂かれた栄光」(岩波書店)P431

