バッハの音楽は厳しい。
演奏する側にはもちろんのこと、聴く側にも大変な労力と集中力を要求する。
アンジェラ・ヒューイットを聴いた。時の経過とともに、音楽は俄然人智を超えた神々の境地にまで昇り詰めていった。息を飲みながら、そして微動だにせず、僕は彼女のバッハに浸った。終わったとき、途轍もない疲労感に襲われたが、それは何と心地良い疲れであったことか。
バッハの音楽は感覚的でありながら、見事に計算された、大宇宙に優るとも劣らぬ構造物だと言えまいか。縦の線と横の線が揃い、また直線と曲線が交差し、まるであの世とこの世を往来する「能舞台」を髣髴とさせるものだ。
有名な第1番前奏曲ハ長調の、感情のこもった浪漫に思わず僕は引き込まれた。一方の、フーガはできるだけ感情を排し、峻厳さを追究したもの。そこには知性と感性の相対と統合があった。自らの内なる先天的感覚を後天的知識によっていわばパッケージングした妙技。なるほど、バッハの音楽は陰陽すべてを包含するものだということをあらためて確信した。今宵のリサイタルの成功はこの時点で目に見えたようなものだ。
ちなみに、ヒューイットは4曲ごとに小休止を措き、徐に口に水を含み、再びバッハに向かった。何より第4番嬰ハ短調BWV849フーガの最後の音の、思い入れたっぷりの長い残響に痺れた。闇に差す一条の光の永遠の名残の如し。
アンジェラ・ヒューイット
“The Bach Odyssey 5”
2018年5月22日(火)19時開演
紀尾井ホール
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻
・前奏曲とフーガ第1番ハ長調BWV846
・前奏曲とフーガ第2番ハ短調BWV847
・前奏曲とフーガ第3番嬰ハ長調BWV848
・前奏曲とフーガ第4番嬰ハ短調BWV849
・前奏曲とフーガ第5番ニ長調BWV850
・前奏曲とフーガ第6番ニ短調BWV851
・前奏曲とフーガ第7番変ホ長調BWV852
・前奏曲とフーガ第8番変ホ短調BWV853
・前奏曲とフーガ第9番ホ長調BWV854
・前奏曲とフーガ第10番ホ短調BWV855
・前奏曲とフーガ第11番ヘ長調BWV856
・前奏曲とフーガ第12番ヘ短調BWV857
休憩
・前奏曲とフーガ第13番嬰ヘ長調BWV858
・前奏曲とフーガ第14番嬰ヘ短調BWV859
・前奏曲とフーガ第15番ト長調BWV860
・前奏曲とフーガ第16番ト短調BWV861
・前奏曲とフーガ第17番変イ長調BWV862
・前奏曲とフーガ第18番嬰ト短調BWV863
・前奏曲とフーガ第19番イ長調BWV864
・前奏曲とフーガ第20番イ短調BWV865
・前奏曲とフーガ第21番変ロ長調BWV866
・前奏曲とフーガ第22番変ロ短調BWV867
・前奏曲とフーガ第23番ロ長調BWV868
・前奏曲とフーガ第24番ロ短調BWV869
20分の休憩を挟んでの後半は、一層素晴らしかった。
ファツィオリの高音部が煌き、低音部は堂々たる響きを呈した。
第21番変ロ長調前奏曲に、僕はチェンバロの音色を感じた。その瞬間、バッハの霊魂が乗り移ったかのように音楽は躍動したのである。そして、最後の、24番ロ短調のフーガでは、ヒューイットのあまりにも哲学的な音楽への没入に僕は畏怖を覚え、それこそ同じ調性のミサ曲に通じるような崇高な祈りを発見した。
全身全霊の、恐るべき集中力を維持した極限のバッハ。そのせいか、終わった後の彼女は抜け殻のようであったし、またそれゆえの清々しい透明さを獲得した姿にも見えた。もはやアンコールは不要(そんな力は彼女には残っていなかったかも)。
明後日は、ゴルトベルク変奏曲BWV988。ますます楽しみだ。
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