エーリヒ・クライバー指揮ケルン放送響 シューベルト 交響曲第9番ハ長調D.944「ザ・グレート」(1953.11.23録音)

エーリヒが急逝したのは、カルロスが25歳の時だった。
生涯、父親に頭が上がることのなかったカルロスの異常なナーヴァスさは、厳しい教育の影響が大きいのだろうが、もはや心身症と思えるほど。特に晩年、カルロスはその気がないのに、皆の注意を引くためか(もちろん本人にそのつもりはない)、いかにも指揮台に立つ可能性をにおわすことが多々あった。
今や指揮台に立つ気力を失くしている彼を、舞台に引っ張り出そうとする周囲の涙ぐましい努力が何だかとても空しい。

2000年頃のエピソード。

わたしはとっさにシューベルトの最後の交響曲「グレート」を提案した。彼はその曲を充分勉強していて録音したいと思っているので考慮に値すると言った。ではどこのオーケストラを使うかという問題に入った。ウィーンはどうかという提案に彼は反対も同然という態度だった。彼は言った、『ウィーンでは万事がぎくしゃくしてしまう。そこにはもう足を向けたくない。いろんなことがあり過ぎた』。バイエルン放送響楽団はどうか。彼が言うには、『演奏会をやるには良いが、録音はだめ』。彼の関心を引いたのはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団だった。彼はラジオを熱心に聴いて、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会の出来具合を批評するはがきを頻繁に送ってきた。彼は言った、『ベルリンへ行くなら、録音会場にはだれも入れない、プロジェクトのことは最後の瞬間まで秘密厳守だ』」。エングストレームはクライバーに可能な限りの便宜をはかると申し出た。数か月後にクライバーは真剣に考えてみたいと返事してきた。
こうして二人は再度グリューンヴァルトのレストラン「フォルストハウス・ヴェルンブルン」で話合いをした。エングストレームはそのときのことをはっきり覚えている、「彼はシューベルトのこの交響曲の録音を、とくに自分の父とフルトヴェングラーのを聴いたと言った。そしてこう説明した、『これ以上どうしてもうまくやれない』。わたしは彼を説得しようとしてこう言った、カルロス・クライバーの演奏はまったく別のもので、もちろん録音技術はずっと良いものになると。しかし無駄に終った」。

アレクサンダー・ヴェルナー著/喜多尾道冬・広瀬大介訳「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 下」(音楽之友社)P400-401

しかしながら、確かにそのときは、嘘偽りなく、自分の気持ちに正直に話すのがカルロスの常だったのだろうとも思う。子どものように純真で、自分の感情を誤魔化すことなど彼にはできなかった。父の、そしてフルトヴェングラーの録音を聴いて、彼は怖気づいてしまったのだ。

フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル シューベルト 交響曲第9番D944「ザ・グレート」(1951.11&12録音) フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」(1942.12.6-8Live)ほか フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル ハイドン 交響曲第88番(1951.12.5録音)ほか エーリヒ・クライバー指揮ケルン放送響 モーツァルト ドイツ舞曲K.600(1956.1.20録音)ほかを聴いて思ふ

オーケストラとは最初からとてもうまくいった。シューベルトの交響曲第8番ハ長調のリハーサルの最後で彼が即興で短いスピーチをした時、テープレコーダーがたまたま回ったままになっていた。彼は次のように話した。
「さて、明日このように演奏すれば、大変美しくなるだろう。そしてもしこのように演奏しなかったとしても、それでもやはり美しいだろう。諸君の忍耐力と注意力に感謝する。諸君は若いオーケストラだが、立派な広い道が目の前に続いているのだ、諸君さえそこを歩き続けているなら! それは簡単なこととは限らない。仕事では多くのことが求められるだろう・・・しかしあなた方は音楽を演奏したいのであって、それが素晴らしいことなのだ。
あと一言だけ聞いてほしい—技術的なことだ。恐れないで! リハーサルというのはそのためのものだ。きみたちは私を知っているし、私がどんなトラブルや緊急事態が起ころうとそれに対処するためにそこにいることを知っている。私の夜会服のポケットにはキリスト教的な寛容というマントがあり、もし何かうまく行かないことがあればそれをさっと取り出して悪いところを覆うだろう。結局のところ、もし諸君が間違った音を鳴らしたとしても、それを取り戻すことができるだろうか? だから自分を責めず、後悔をあらわにしないでほしい。何かがうまくいかなくても—まあ、私たちはみな人間なのだ。何ごとも、し過ぎてはよくない。ありのままに受け入れるのだ! そして何よりも、『さあ、いいものを聴かせてやるぞ!』などと自分に言いながら演奏会に来ないように。何の効果もないのだから。ただ静かに自分の席に着き、音楽を奏でる。私は邪魔はしないから!」

ジョン・ラッセル著/クラシックジャーナル編集部・北村みちよ・加藤晶訳「エーリヒ・クライバー 信念の指揮者 その生涯」(アルファベータ)P270-271

厳格な指揮者にしては何と慈しみに溢れる言葉だろうか。
あくまで自然体で良いのだという。しかし、そのために事前の準備に余念なく、誠心誠意をもって取り組まねばならない。

エーリヒ・クライバーの指揮するシューベルトの「ザ・グレート」は、中庸のテンポを保ち、そして毅然としたスタイルで音楽を鳴らす、特別なものだ。ただし、あくまで自然体である。そして、まさに巨匠が、リハーサル直後、若きオーケストラに託した言葉は、自らにも言い聞かせていたものであったことがよくわかる。

・シューベルト:交響曲第8(9)番ハ長調D944「ザ・グレート」
エーリヒ・クライバー指揮ケルン放送交響楽団(1953.11.23録音)

内側で炎をたぎらせるエーリヒ・クライバーの演奏に、文字通りこの人が「信念の指揮者」であったことを想像する。
第1楽章アンダンテ—アレグロ・マ・ノン・トロッポは正統な名演。

しかし一方僕は、弛緩のない第2楽章以下にシンパシーを覚える。いつ終わるとも知れぬ、下手をすると冗長さすら感じさせる交響曲にあって、それがまったくないのである。

そのことは、他の指揮者の録音ではほとんど感じることのない、終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェに至るまでが待ち遠しいと思わせる事実。そして、件の楽章の際に、心の中で「快哉」を叫ぶほど自分が感動し、音楽の喜びに浸っているという事実。

なるほど確かに、カルロスが「これ以上どうしてもうまくやれない」と言った、その正直な心境がわからないでもない。

「実」のある創造を! 「実」のある創造を!

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