
グノーは若い頃から宗教音楽に関心があった。パリ音楽院でローマ賞一等を受けて1839年12月から3年間ローマに留学する間にシスティーナ礼拝堂で聴いたパレストリーナの作品から受けた感銘を帰国後に語っている。またローマに滞在中、信仰の自由を説くドミニコ会士アンリ・ラコルデールの説教に心を動かされた。
~井上太郎著「レクィエムの歴史 死と音楽との対話」(平凡社)P237-238
神への信仰こそがグノーの創造力の源泉であった。
それに、それ以上に彼は人間を慈しむ思いが強かったのだという。
シャルル・グノーの幼少時のエピソード。
少年が促されて椅子を見つけると、校長は重苦しく口を開いた。「お母さんから聞いたが、君はこの学校をやめて音楽家になりたいそうだな。どうしてそう思う?」
「ど、どうしてかといえば」少年はどもった。「どうしてかといえば、音楽が好きだからです」。
校長は微笑んだ。「たぶん君には、音楽家がどれだけ生活が大変か分かっとらんのだろう」。
すると少年には自信が湧いてきた。「そんなことは構いません」少年は答えた。
「では君にどういう才能があるか、その証拠を少しでも見せたまえ」。校長の顔から笑みが消え、引き出しから紙を2枚取り出すと少年に手渡した。「詩と五線紙だ。この詩に音楽を付けられるならやってごらん」。
驚く校長を尻目に、少年は詩を一瞥するとたちまち旋律を書き始めた。そばのピアノに一足飛びで向かい、即興で伴奏をつけながら詩を歌い通した。最後の和音を弾き終わると、若きシャルル・グノーは呆気にとられている校長に微笑みかける。校長はつぶやいた。「君の言うとおりだ。君は音楽家になる」。
~パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P134
何とも可愛い。
校長のつぶやきがむしろ軽々しく聞こえるのは僕だけか。
性格や性質というものを超えて、天才はそもそも神とつながるようだ。
概ね静謐なる聖チェチーリア荘厳ミサ曲。
第2曲グローリアが美しく(特にパッヘルベルのカノンを想像させる第3部「ただ一人の御子であるイエス」の癒し)、また、第6曲ベネディクトゥスの祈りが僕のお気に入り。
小交響曲は、リラックスしたムード溢れるグノーの、肩ひじ張らない佳品。サー・ジョン・バルビローリの微笑み交る喜びの心境が投影される。