ヴァラディ ポップ プライ レブロフ コロ ヴァイクル カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管 ヨハン・シュトラウスII 喜歌劇「こうもり」(1975.10録音)

颯爽と指揮台に上り、振り返るや「こうもり!」と日本語で一言発し、即座に閃光走る、鮮烈な序曲。奇蹟のコンサートを堪能できた、あの来日公演のアンコールの一コマをもはや僕は忘れることはない。
(ポルカ「雷鳴と電光」ももちろん素晴らしかった)
(もう40年近く前の話)
(世間はバブル経済前夜!)

カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立管 ベートーヴェン 交響曲第7番(1986.5.19Live)

「さあ万博で景気回復」と投機のブームが巻き起こり、博覧会が始まった時、ウィーンはバブルの頂点にあった。頂点ということはつまり没落の始まりでもある。バブル崩壊は劇的にやってきた。ウィーン万国博の開幕の8日後の(1873年)5月9日、ウィーンの株式市場が大暴落した。4年前に国立歌劇場はでき上っていたが、リング通りに建ち並ぶ国会議事堂やブルク劇場はまだ建設中だった。私たちの知っている壮麗というか大げさというか、とにかく美しい街ウィーンがこしらえられつつある時だった。公園や街路に植えられた木々は、これから育つところだった。バブル崩壊で自殺者が続出し、ウィーンは重苦しい空気に包まれた。そんなとき《こうもり》が初演された。1874年4月5日、株式大暴落から11カ月後のことである。
音楽之友社編スタンダード・オペラ鑑賞ブック5「フランス&ロシア・オペラ+オペレッタ」(音楽之友社)P63

歴史は繰り返しているのだと思う。
自然現象ではなく、そこには間違いなく人為が働いているのだ。

—あげていけば、キリがない。
今、人類は、いちど近代から現代にかけて、ふりかえるときだ。
2世紀余りの間に、人類文明は“発展した”と教えられてきた。
しかし、近代は発展と進化の時代だったのか・・・?
1773年、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが、世界征服25カ条『計画書』を採択し、1776年、国際秘密結社イルミナティを結成して250年余り。
“かれら”は、着々と計画どおりに、人類つまりゴイム(獣)支配を進めてきた。
その“双頭の悪魔”ロスチャイルド財閥とロックフェラー財閥は、ほぼ完全に地球上の国家、経済、金融、産業、情報・・・を独占してきた。
まさに、近代から現代への歴史は、”闇の勢力“による”洗脳“と”支配“の歴史だった。そして、”やつら“の意のままに、戦争は絶え間なく起こされてきた。
こうして、地球上の富は、1%以下の超富裕層に集中独占されてしまった。
それは、情報も同じだ。ゴイム(獣)大衆には、毒にも薬にもならない情報が投げ与えられ、真実はいっさい、明らかにされない。

船瀬俊介「世界をだました5人の学者」(ヒカルランド)P435-436

世界は知らないことばかり。
否、知らされていないことばかり。(陰謀論などではない)

不況の中にあったからこそ浮かれた「こうもり」が一層人気を博したともいわれるが、世界はいつもそういうパラドックスの中にあるものだ。

カルロス・クライバーの喜歌劇「こうもり」。
半世紀も前のプロジェクトだが、未だ色褪せず。
こんなに楽しい音楽があるのかと思うくらい。

上演を前に、クライバーはいつも不安に襲われた。ミュンヘンのオーボエ奏者クラウス・ケーニヒは、クライバーが《ばらの騎士》では父親の総譜を抱きかかえ、こう言ったことを覚えている。「安心できる場所など、ぼくにはないんだよ」。これは《こうもり》のチャールダッシュの時にも繰り返された。クライバーが高く評価していた指揮者クレメンス・クラウスの録音を聴いたあとで、ケーニヒにこう言った。「こんな風に、ぼくにはできない」。ケーニヒはこう語る。「クライバーの演奏の方が、ずっと説得力豊かに聞こえると当人に言うと、当惑したような表情でぼくを見つめましたよ」。
アレクサンダー・ヴェルナー著/喜多尾道冬・広瀬大介訳「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 上」(音楽之友社)P433-434

病的繊細さこそカルロスの真骨頂。この際、彼の性質などどうでも良い。

・ヨハン・シュトラウスII:喜歌劇「こうもり」
ヘルマン・プライ(ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン、テノール)
ユリア・ヴァラディ(ロザリンデ、ソプラノ)
ベンノ・クッシェ(フランク、バリトン)
イワン・レブロフ(オルロフスキー公爵、バス)
ルネ・コロ(アルフレート、テノール)
ベルント・ヴァイクル(ファルケ博士、バリトン)
フェリー・グルーバー(弁護士ブリント、テノール)
ルチア・ポップ(アデーレ、ソプラノ)
エヴィ・リスト(イーダ、メゾソプラノ)
フランツ・ムクセネーダー(フロッシュ、台詞)
ニコライ・ルゴヴォイ(イワン、台詞)
バイエルン国立歌劇場合唱団
ヴォルフガング・バウムガルト(合唱指揮)
カルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団(1975.10録音)

「こうもり」全曲といえば、これ。
(確実にクレメンス・クラウスを凌駕する)

パツァーク ギューデン ペル リップ クレメンス・クラウス指揮ウィーン・フィル ヨハン・シュトラウスII世 喜歌劇「こうもり」(1950.9録音)

どの瞬間も気迫に満ち、活気ある音楽が充溢する。聴きどころをいくつか。

第1幕、アデーレとロザリンデの二重唱「ああ、叔母さんのところへ行けない」

同じく第1幕、ファルケとアイゼンシュタインの二重唱「一緒に夜会へ行こう」

そして、アデーレ、ロザリンデ、アイゼンシュタインの三重唱「ひとりになるのね」

さらに、カルロスがクラウスのそれに腰が引けてしまった第2幕、チャールダーシュ「ふるさとの調べは」と、カルロスが思わず吹き出したというレブロフ扮するオルロフスキー公爵が歌うシャンパンの歌「兄弟たち、姉妹たち」だ。

止めは第3幕のフィナーレ「こうもりよ、こうもりよ」だ。

クライバーの新しいトレードマークとなった《こうもり》に対し、マルセル・プラヴィは理解を示した。「オルロフスキーの夜会の場面でさまざまな出し物をやるのはいまや恒例となった。ミュンヘンでは、いくつかのダンス音楽から構成されている、ヨハン・シュトラウスによって書かれたオリジナルのバレエを挿入した」。1965/66年シーズンにジュネーヴで上演された《こうもり》では、《ドナウ・ワルツ》を組み入れたが、これは1974年の時点ですでに慣習となっていた。だが、プラヴィは、音楽のドラマという観点から見て、これは否定されるべきだという見解を示していた。「なぜなら、第2幕の最後には最高に魅力的なオペレッタ・ワルツがあるのに、なぜその前に別のワルツを聴かねばならないのか?」ミュンヘンの新演出によるクライバーの解決法は、プラヴィを魅了した。「カルロス・クライバーは本当にすばらしいポルカ《雷鳴と電光》を指揮した。それに加え、合唱、ソリスト、バレエが一体となって、ウィーンのギャロップとも、パリのカンカンともつかない、不思議な混合物として賛否が渦巻いた、シャンパンと踊りの世界を披露した」。
~同上書P438-439

カルロス・クライバーの方法はいちいち理に適っていたのである。
彼がわずかな録音だけでも残してくれたことに僕たちは感謝せねばならない。

カルロス・クライバーの「こうもり」で元旦を祝う カルロス・クライバーの「こうもり」で元旦を祝う

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